藤田嗣治と日本の画壇

今日のNHK日曜美術館は「知られざる藤田嗣治~天才画家の遺言~」というタイトルでした。
先日、東京都美術館で開催されている「藤田嗣治展」を観て来たので、興味深く拝見しました。

番組の中で、以前は、藤田嗣治は日本ではあまり知られていなく、展覧会が開催されるようになったのも、最近10年間ぐらいと言っていました。
もっとも、私は、かなり昔から藤田嗣治というかレオナール・フジタの名や乳白色の裸女の絵については知っていたように思います。

なんで名前を知ったのか?は、記憶が無いのですが・・・斎藤真一の本の中に、フランスの藤田嗣治の家に行った話が出ていた時、へえ~レオナール・フジタと親交があったんだ、と思ったので・・・その頃には名前を知っていたはずです。
ちなみに、その本の中には・・・斎藤真一が日本に帰る挨拶をしに行った時に、藤田嗣治が「日本に帰れるなんて、羨ましい、私は帰る事はできない」と言った、という逸話が載っています。
つまり、本音では日本に帰りたかったのでしょう。
そういえば、番組で発見された録音テープですが・・・日本語で録音されていたという事は、自分の事を後世の日本人に知って貰いたかったのでしょう。

また、番組で、フランスに留学した他の日本人画家は学ぶだけだったのに・・・藤田嗣治だけは、自分の独自のスタイルを創り上げて時代の寵児となったと、語っていましたが・・・確かに、当時の日本人画家はパリの最先端の絵画を学んで、それを日本に紹介する事を目的として留学していたように思います。
ちなみに、そんな藤田嗣治の活躍は、日本では批判されたのですが・・・それは、ジェラシーのようなものがあったのではないか?という推測も紹介されていました。

そういえば、番組では、藤田嗣治東京美術学校の卒業制作である自画像は、黒田清輝に酷評されたとか・・・留学当初にピカソのアトリエに行った藤田嗣治が、絵画はもっと自由に描いて良いんだと知って、黒田清輝に教られた道具箱を叩きつけた・・・なんていうエピソードが紹介されます。
そんな藤田嗣治の作品が世界で認められるなんて、黒田清輝に代表される日本画壇は認めたくないだろうし・・・両者の間に確執があったような気がします。

戦争画を描いたのも、軍の権威を利用して、日本画壇の権威を見返したい気持ちもあったのではないでしょうか?

なんか、最近のスポーツ界のパワハラ騒動を彷彿とさせますが・・・日本人って、権威を持つ人を崇め、それに従わない人を仲間外れにする傾向がありますね。

イメージ 1
藤田嗣治展」 図録