江戸東京たてもの園

前回は、横浜美術館等で開催されている「第8回横浜トリエンナーレ」と国立西洋美術館で開催されている「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」展について書きました。

現代のアーティストの作品は昭和レトロなものが多い印象だったので、なんとなくレトロな感じを味わいたい気分になり、小金井公園にある江戸東京たてもの園を観に行ってきました。

 

ひょっとしたら、まだ小金井公園の桜が見れるかと思ったのですが・・・さすがに、ソメイヨシノはほとんど散っていました・・・けど、他の種類の桜は咲いていました。

特に江戸東京たてもの園内には、八重桜の木が植わっていて満開だったので、かえって良い時期だったみたいです。

 

昭和に限らず、江戸、明治、大正の建物等が立ち並び・・・極めつけは、竪穴式住居までありました。

個人的に懐かしかったのは銭湯で・・・体重計など、子供の頃の記憶と一緒ですね。

建物の壁にあるホーロー看板や商店に置いてある商品なんかも懐かしかったです。

あと、都電やボンネットバスなんかも子供の頃に乗った記憶があります。

 

まあ、他にも江戸時代の民家なんかが保存されているところもあるけど・・・これだけ古いたてものが揃っているのは珍しい・・・小さな明治村といった感じです。

入園料が安い(¥400)のに見どころが多いので、昭和レトロにちょっと興味がある方にもお勧めです(最近のアーティストもインスピレーションを得るため訪ずれているのかな?)。

それから、企画展示として「江戸東京博物館コレクション ~江戸東京のくらしと乗り物~」というのをやっていて・・・駕籠や人力車と一緒にバイクの名車インディアンが展示していたのが興味深かったです。

 

小金井公園ソメイヨシノ以外の桜

八重桜と昔の建物(1)

八重桜と昔の建物(2)

八重桜と昔の建物(3)

園内の通りの様子(正面が銭湯)

竪穴式住居

パンフレット

園内の地図

 

トリエンナーレと国立西洋美術館と桜

前回は板橋区美術館で開催されている「シュルレアリスムと日本」展を観てきた事を書きました。

シュルレアリスムが日本に紹介された当時、影響を受けた日本の画家達の作品が多く展示されていました。

 

今週は、最近のアーティスト達の作品を観ようと思って、横浜美術館等で開催されている「第8回横浜トリエンナーレ」と国立西洋美術館で開催されている「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」展(長い展覧会名だなぁ)を観てきました。

 

実は、この前のNHK日曜美術館で「横浜トリエンナーレ」が取り上げられていて、続くアートシーンで「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」が取り上げられていたので、興味を持ったのです。

特に番組で興味を持ったのが「横浜トリエンナーレ」の富山妙子の作品達・・・横浜美術館の会場の一角に富山妙子の展示コーナーがあって、それを観るだけでも入場料の価値がありました。

もちろん、他にも興味深い作品が多数展示されていましたけど・・・個人的には今ひとつな感じの作品もあり、まさに玉石混交といった感じでした。

 

最近のアートと思っていたのですけど、古い雑貨や古い写真等を扱った物が多かった感じで、若い人に昭和レトロが人気なのも影響があるのかもしれません。

あと映像を使った作品が多かったのですけど・・・映像作品って観るのに時間がかかるので困ります。

 

会場は5か所で、とりあえず一般入場券で入れる横浜美術館、旧第一銀行横浜支店、BankART KAIKOを周ったのですけど、移動にも時間がかかりました。

個人的には横浜美術館以外の展示は今ひとつだったのですが・・・移動途中に見た日本丸の横の桜が綺麗でした。

 

どちらかといえば、国立西洋美術館の方が内容的には充実していました。

こちらも、上野公園の桜が散り始めで綺麗で・・・公園には大勢人がいましたが・・・美術館の中は閑散としていました・・・修学旅行なのか、制服を着た高校生達も来ていました。

こちらも、玉石混交といった感じで、昭和レトロ感があったり映像を使った作品が多いのも同じ・・・最近の傾向でしょうか?

(文字が書かれた作品も多かったけど・・・読むのが面倒)

女子高生達が大喜びしていた幼稚な感じの作品もありました。

 

少し前にモネの「睡蓮」について書きましたが、今回も「睡蓮」が展示されていました。

そういえば、前回書いたとき、「睡蓮」はモネの画業のターニングポイントになったと考えている・・・それまでは、モチーフとなる風景を探して、その印象を絵にしていたのに、「睡蓮」からは頭の中にあるイメージを描くようになった・・・と書きました。

現在のアーティストでも、モチーフとなる物を探している人もあれば、一から頭の中にあるイメージを表現している人もいるようです。

それ自体がインパクトがあるモチーフを基にした作品だと・・・アーチスト自体の力量はどうなんだろう?と、思ってしまいます。

 

「第8回横浜トリエンナーレ」展 チラシ、チケット

 

日本丸横の桜越しにランドマークタワーを見たところ

 

「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」展チラシ3種、チケット

「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」図録

 

今日の上野公園の桜

 

シュルレアリスムと日本

板橋区立美術館で開催されている「シュルレアリスムと日本」展を観に行ってきました。

実は、エルンストとか好きなので、この展覧会について興味があったのですが、行こうと思ったら天気が悪かったり用事があったりして後回しにしていたら・・・気が付いたら会期が14日までになっていて、慌てて観に行ったのです。

ちなみに、板橋区立美術館って初めて行ったのですけど・・・駅から離れていて場所が分かりづらい・・・バスで行った方が良かった。

(別にバス代をケチったわけではなく、普段から歩くのが好きなため)

 

今年は作家アンドレ・ブルトンが「シュルレアリスム宣言」を出してから100年という事で、この展覧会は日本にシュルレアリスムが紹介されてから日本の画家たちの取り組みを紹介する展覧会です。

日本の画家によるシュルレアリスム作品って、ほとんど知らなかったので、なかなか面白かったです。

 

全体的な印象としては、ダリ、タンギー、エルンストなんかの影響を受けた作品が多かったように思います。

意外だったのはマグリットの影響があまり感じられなかった事・・・マグリットって、アイデア重視のシンプルな作品なので、複雑さやアカデミックさを好む日本人には好まれなかったのかと思っていたら・・・後で図録を読んでいたら、当時の日本人はパリの美術界の影響が大きかったので、ベルギーのマグリットは遅れて日本に紹介されたそうです。

 

あと、マグリットのような明るい作品は少なく陰気な作品が多かったのは・・・シュルレアリスムを知って衝撃を受けた当時の画家が描いた作品が多かったので、時代的背景が表れているからかもしれません。

つまり、大正デモクラシーの頃は世間に毛嫌いされていた軍人・・・その反動で軍部が暴走し軍国化したのがこの時期にあたり・・・描く内容も制限されていったようです。

その意味では、初期のシュルレアリスムに取り組んだ東郷青児古賀春江等1920年代末の作品と1930年代の画家の作品は異なっているように思います。

 

展覧会自体のせいか?美術館のせいか?作品の説明がちょっと物足りなく、作品の画材(油絵、水彩画、コラージュ、版画、写真など)の表示も無かったし・・・順路も判りづらかったです(出口もちょっと迷ってしまった)。

 

シュルレアリスムと日本」展 チラシ、作品リスト、チケット

シュルレアリスムと日本」展 図録

 

おきて破り?NHK朝ドラ「ブギウギ」

NHK朝ドラの「ブギウギ」が好評のうちに最終回を迎えました。

主役の趣里さんによる歌や踊りも素晴らしく、特に若い頃のステージは初々しく晩年になるにつれて大物感が感じられるように演じ分けられていたのは良かったです。

もっとも、趣里さんは童顔なので、少女時代は似合っていましたが歳をとってからの老けメイクでは若干無理が感じられました。

 

例によって、実在の人物を題材にしているためストーリーが破綻する事もなく、そこも良かったように思います。

反面、史実を追うため、話の展開上、急に月日が飛ぶところが目立ったような気がします。

羽鳥善一の二千曲記念なんて実話だったとしても別に無くても良くて、他にも描くべきものがあったように感じられ、最終回に合わせて埋めるだけのエピソードのように感じられました。

 

個人的に不満だったのが、踊りの練習は詳しく描かれたのに、歌手を主人公にしているくせに歌の練習がほとんど描かれなかった点です。

たとえ少女の時に歌が上手かったとしても、実力派歌手になるのは簡単ではないはず・・・特に、譜面を渡されて初見でいきなり歌えるようになるのは大変です。

しかし、羽鳥善一からジャズっぽく歌うように言われたぐらいしか歌のレッスンの苦労は描かれませんでした。

 

これは、番組の主なテーマは羽鳥善一とスズ子の師弟愛だったからなような気がします。

前作「らんまん」は万太郎と寿恵子の夫婦愛が主なテーマだったと同じような感じですね。

 

そこで、不思議に思ったのですが・・・

「ブギウギ」という番組のメインステージ(土地)が、大阪から出てきたスズ子が羽鳥と出会ってからの東京だという事(「らんまん」でのメインステージが、高知から出てきて万太郎が寿恵子と出会った東京だったのと同じですね)

・・・大阪制作の朝ドラって、主人公が一旦東日本へ行くようなシチュエーションがあったとしても、メインステージ(土地)は西日本でだったのではないでしょうか?

 

視聴者としては、そんな暗黙の決まりは無くて、東京制作でも大阪制作でも日本全国のどこでもメインにした方がストーリー的に面白いと思うのですが・・・スズ子が大阪の誇りを持って生涯関西弁だったのとは違って・・・番組制作では大阪の誇りを捨ててしまったのか?なんて思ってしまいました。

5CDオリジナル・アルバム

新宿アルタが2025年2月で営業終了するというニュースがありました。

笑っていいとも!世代としては、ちょっと残念ですね。

大型スクリーンのあるアルタ前広場の光景も変わると思うと、渋谷の再開発なんかと共に時代の移り変わりを感じます。

 

以前も書きましたが、最近の新しいミュージシャンは今ひとつに感じてしまうのも、歳をとったせいでしょうか?

そんな訳で、改めて古い音楽を聴くことが多いのですが・・・輸入盤で、昔のミュージシャンのヒット作を5枚パッケージした5CDオリジナル・アルバムというシリーズが、ここのところマイ・ブームです。

 

私が学生の頃のLPレコード1枚の値段程度で5枚のアルバムが手に入るのが嬉しいです。(もちろん、昔と物価が違うので、実体はかなり安い印象です)

で、興味があったけど当時買えなかった物、レコードしか持っていないのでCDも欲しい物等を入手しています。(中には、2枚ぐらいCDを持っていても、残りのアルバムを個別に買うより安いので、ダブりのCDがある事を承知で購入する場合もあります)

 

ニルソンの「ウィズ・アウト・ユー」やリンダ・ロンシュタットの「イッツ・ソー・イージー」なんかも久しぶりに聴いて良かったし・・・なかでも、アメリカの「金色の髪の少女」なんか、すっかり忘れていて、イントロの印象的なギターを聴いて記憶が蘇ってきて感動してしまいました。

 

あと、エヴァリー・ブラザースなんかは、ギブソンエヴァリー・ブラザース・モデルが好きなのに、今まで入手できるのはベスト盤だけだったので、5枚もオリジナル・アルバムが聴けて嬉しかったです。

やはり、ヒット曲を羅列したベスト盤とオリジナル・アルバムでは、印象が違います。

 

もちろん、ミュージシャンによっては5枚のアルバムだけじゃ物足りないという場合もあります。

しかし、一定期間のアルバムを集めたコンプリート・コレクションが売られている場合もあります。(もちろん、5CDのパッケージより高価ですが・・・)

というわけで、お気に入りミュージシャンはコンプリート・コレクションを入手しています。

もっとも、本当のお気に入りはミュージシャンは、オリジナル・アルバム単体で全部揃えていますけど・・・

 

5CDオリジナル・アルバム その1

5CDオリジナル・アルバム その2

 

コンプリート・コレクション その1

コンプリート・コレクション その2

 

戦前のSJ-200のローズウッドについて

今日は暖かったので、久しぶりに庭木の手入れをしたら・・・花粉がひどかったです。

そんなわけで、ティッシュ片手に書いています。

 

先日、ボブ・ディランが1964年のニューポート・フォーク・フェスティバルで戦前のSJ-200を弾いていた事を書きました。

戦前のSJ-200といえばサイド&バックがローズウッド製が特徴で、戦後はサイド&バックがメイプル製になってしまいます。

 

で、この戦前のSJ-200のローズウッドですが・・・ハカランダと書いてある資料もありますが、なかにはインディアン・ローズウッドと書いてある物もあり、はっきりしません。

そもそも、1960年代になってハカランダ枯渇防止のためブラジル政府が制限する前は、ハカランダもインディアン・ローズウッドも大して区別されていませんでした。

 

というか、中世の家具なんかに使われているローズウッドは、当然インディアン・ローズウッドでした。

その後、新大陸発見により南米で似た木(ハカランダ)が見つかりローズウッドとして流通するようになりました。

ギターの製作においては、ヨーロッパやUSAへの輸送コストが安いため、ローズウッドとしてブラジル産が主に使われるようになったのです。

 

マーチン社は特殊で、丸太のまま輸入し自社で製材を行っていたため、1969年以前のローズウッドはブラジル産だと言い切れるのですが・・・その他のギター・メーカーはサプライヤから単にローズウッドとして製材された木材を入手していたため、ブラジル産かどうかは不明なのです。

(ハカランダが貴重になった後の1960年代後半のギブソン・ヘリテイジのようにブラジル産ローズウッドと指定してある場合は別です)

また、ジャンゴ・ラインハルト愛用の仏セルマー社なんかは、わざわざインディアン・ローズウッドを指定していたそうです。

 

なので、戦前のSJ-200も単にカタログ上はローズウッドとなっていて、ローズウッドとしてサプライヤから供給されたのがハカランダの物もあるし、インディアン・ローズウッドの物もあると思われます。

当然、ギブソンの職人も、両者を気にせず製造していたのでしょう。

(当時のギター弾きも両者の違いなんか気づかなかったと思われます)

 

もちろん、戦前のマーチン以外のメーカーのアコギでローズウッドが使われている場合にも、必ずしもハカランダだとは限りません。(上記のように、輸送コストの関係からハカランダが使われている確率は高いですが・・・)

 

というわけで、当時のギターのボディ・バックの写真を見て、ハカランダかどうか?なんて考えるの面白いかもしれませんね。

 

ギブソン SJ-200 1940年製のバック

 

ウォッシュバーン #5238 De Luxe 1934年製のバック

 

スタール(ラーソン・ブラザース) style6 1920年代製のバック

アナザー・ストーリー?

漫画家の鳥山明さんや声優のTARAKOさんが亡くなったというニュースがありました。

私とそんなに年齢が変わらないのでショックで、なんか時代が変わったという感じです。

 

さて、前回はニューポート・フォーク・フェスティバルでボブ・ディランが戦前のSJ-200ダブルピックガードを使っていた事を書きましたが・・・

昨日のNHK「アナザー・ストーリーズ」は「ボブ・ディラン 〜ノーベル文学賞 “原点”のステージ〜」という事で、1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルで、ボブ・ディランエレキギターを初めて使った事を取り上げていました。

 

期待して視たのですが、内容的には・・・なんか結論ありきで、嘘とはいわないけど都合が悪い事は省略したり曖昧にしてあるように感じました。

以前は、フォークを期待していた観客から大ブーイングを浴びて、涙ながらエレキ演奏は3曲で引っ込んで、再度アコギを抱えて登場しブーイングへの返答として「イッツ・オールオーバー・ナウ・ベイビー・ブルー」をフォークへの決別として歌ったと言われており、今回の番組もその説に沿った内容で構成されていました。

 

しかし、最近は、演奏が良く聴こえなかったためのブーイングもあり、フォークを期待したブーイングに対して逆にエレキを使ったことに対する応援も多かったと言われています。

番組でも、当時の観客(後にボブ・ディランノーベル文学賞に推薦した人)が、後ろの方の席だったので、前列の方で揉めていたが良く判らなかったと語っていました。

 

前回も書きましたが、どうやらニューポート・フォーク・フェスティバル自体も必ずしもフォークの祭典という訳でなく、ブルース・ミュージシャン等も出演しているし・・・おじさん・おばさんのコーラス隊や壇上でフォークダンスを踊る一団なんかも出演していました。

 

もちろん、ハウリング・ウルフ等は大音量でエレキ演奏していますし・・・ポール・バターフィールド・ブルース・バンドも単独で出演しエレキ演奏していますので、観客のエレキ演奏に対する拒否反応なんてあるはずないですね。

というか、ボブ・ディランは前日(7月24日)にはアコギで演奏したのですが・・・ポール・バターフィールド・ブルース・バンドの演奏を観て、翌日(7月25日)に彼らをバックバンドとしてエレキを演奏する事にしたのです。

 

で、7月25日の昼に急遽リハーサルをしたのですが、時間が無かったため3曲しかできなかったので、最初から本番も3曲しか演らない予定だったそうです。

ちなみに3曲は「Maggie's Farm」、「Like A Rolling Stone」、「It Takes A Lot To Laugh, It Takes A Train To Cry」で、演奏後にボブ・ディランは「オーケー・レッツ・ゴー」と言って引き揚げています。

もちろん、泣きながら歌ったりしていません。

さらに、リハーサルが不十分だったため音量が小さかったので、後ろの方の観客は聴こえなかったようです。

 

で、たった3曲で引き揚げてしまったので、PP&Mのピーター・ヤーローがもう少し歌って欲しいと懇願したので、ブーイングに対してフォークを歌うよう説得した訳ではありません。

その後、アコギに持ち代えて最初に歌ったのは「ミスター・タンブリン・マン」で2曲目に歌ったのが「イッツ・オールオーバー・ナウ・ベイビー・ブルー」だったので、これも別にブーイングに対する返答だった訳ではないようです。

 

もっとも、確かにフォークのプリンスがエレキを演奏したという事は、時代は変わった事を象徴していますね。

そして、ノーベル文学賞ボブ・ディランに与えられた事も、時代は変わったと言えると思います。