功徳って

昨日、サポーターや会員になっているNGO等が13団体あると書きました。
この13団体という数ですが、多いのか少ないのか判りませんが、
私の周りの人に聞くと、支援している団体が無い、もしくは1団体という人が多いです。
だから、複数というのは珍しいし、13団体というのは多いのではないかと思います。
 
で、気になる会費ですが、安いところで年間5千円、高いところで月5千円ぐらいです。
だから、サラリーマンの私でも払うのに苦労しない程度です。(払える環境にいることに感謝です)
あと、エボラ出血熱の時に「国境なき医師団」へ寄付するなど、大きな災害等があった時に、懐に余裕があれば臨時に寄付をすることもあります。
 
寄付等をしていることを言ったり書いたりすると、自慢しているように思われるかもしれませんが、参考にして頂けたらと思うからです。(まったく、自慢する気が無いか?と言われると微妙ですけど)
それは良いことだと思って、寄付とかをしてくれる人がいたら嬉しいですね。
 
このように書いてある本(観音経講話 橋本徹馬著)がありました。
「功徳があるだろうなどと思いながらする善事は、無功徳なのであります。」
「人前で吹聴をしながら施しをした者は、その吹聴した事にによって、既に施しの報酬を得たのであるから、施しの善事は帳消しになっています。」
「誰でも報酬を求めずに善事をすれば、それで偉人になれるのですが、とかく人間はわざわざ偉人にならずに、凡人になりたがるのですね。」
 
著者は仏教の観点から、こういう風にとらえるのでしょうが・・・
私は別に功徳を得ようとか、偉人になりたくて寄付等をしている訳ではないんですよね。
だから、言ったり書いたりすることは、別に気になりません。
 
じゃあ、なんで寄付等をするのといわれると・・・
もちろん、慈悲の気持ちもあります。
あと、普段くだらない事にお金をつかっている罪滅ぼし、もあります。
途上国では、幼い子が住み込みで学校にも通えず月5千円の給料で働いているなんて聞くと、後ろめたい気持ちになります。(そう思いながらも、凡人なので、くだらないことにお金を使ってしまうんですよね)
でも、寄付等をする一番の理由は、それが自分らしい気がするから、という単純なものです。
 
って、たいした寄付もしていないのに大袈裟ですかね。
 
「観音経講話」 橋本 徹馬 著 紫雲荘
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