天国と地獄

昨日は、私が寄付をするのは、善意とか、同情しているというよりは後ろめたさがあるから、という事を書きました。
自分は、それほど大した人間でないのに人並の生活をしているので、悲惨な思いをしている人に対して、申し訳なく感じてしまうのです。

そういえば、偉いお坊さんが、寄付をしている事を他人に話せば功徳がなくなる・・・と、言っていましたが・・・私は、別に功徳を得ようと思って、寄付している訳ではありません。
このような、何か利益を得るために良い事をする(あるいは罰が当たるから悪い事をしない)というのは、本当の信仰なのか?と疑ってしまいます。

美術館で、地獄図絵なんて見ると・・・こんな絵を見せて、一般大衆を怯えさせて宗教的に良い行いをさせようとするなんて・・・当時の宗教家たちは、正しい布教だと思っていたか?と思ってしまいます。
もし、自分が宗教家だったら、信じる事の素晴らしさを説いて、一般大衆に勧めるでしょう。
もっとも、ほとんどの宗教で、天国や地獄という概念が存在している事を考えると・・・当時の、無知な一般大衆に倫理観を教えるには、有効な手段だったのでしょう。

ちなみに、以前も書きましたが・・・私は、全ての物に魂が宿るというアニミズムを信じています。
このアニミズム、良い事をして何かの利益を得るとか、天国や地獄という概念とは、あまり関係ないですね。

さらに、私は、この世が天国だと思っています。
一般的な、一年中花が咲き乱れて不老不死なんていう天国のイメージは、私には良いとは思いません。
晴れの日や雨の日があって、暑い夏や寒い夏があるから、様々な季節を楽しめるし、人生も山あり谷ありだから面白いのです。
また、寿命があるから、色んな事にチャレンジし努力するので・・・不老不死だったら、たぶん、皆後回しにして、やらなくなってしまうでしょう。

もっとも、地獄図絵や天国図絵には、美術的な価値はあると思っていますし・・・仏像のような宗教的な物には、人々の信仰による思いが宿っているとも思います。