密教

昨日は、何か利益を得ようとして良い事を行うとか罰があたるのが怖いから悪い事をしない、という信仰はおかしいと思うという事を書きました。
だから、天国の素晴らしさや地獄の恐ろしさを述べて、布教するのは間違っていると考えています。

今日のブラタモリは「高野山空海テーマパーク!?~」というテーマでしたが・・・どうも、空海って頭が良いだけに・・・本来の、教えの内容だけで信者を獲得するのではなく・・・あの手この手を使って真言密教をPRしているような印象を受けます。

個人的には、そもそも密教って、呪術的で好きではありません。
なんとなく、正当な手段を使わずに、利益を得ようとしているような感じがするのです。

宗教には、他の宗派よりも自分の宗派が正しいと思い、優越感を得るという側面があるみたいで・・・それが、一歩間違えば、宗教戦争を引き起こすのですが・・・密教って、その名前の通り、他の人が知らない秘密を知っているという、優越感を助長する要素があるような気がします。

最近読んだ「空海最澄の手紙」によると・・・最澄密教を受法する事を切に望んでいたようですが、それは、
天台法華宗の一部という認識だったようです。
それに対して、空海は、密教顕教とは違った特別な物という認識だったのが、最終的に、両者の不仲を生み出したようです。

したがって、最澄が、空海が唐から持ち帰った密教経典を借りて写経し、比叡山の書庫に収めようとしたのに対して・・・空海は、密教は対面で教えを受け体得するもので、経典を読むだけでは真に得る事はできない、としたのも、このような両者の認識の違いからでしょう。

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空海最澄の手紙」 高木訷元著 法蔵館