雲と風と

少し前に読んだ本ですが、永井路子著の「雲と風と」という本は、結構、面白かったです。
一応、本の主人公は伝教大師最澄なのですが・・・桓武天皇との関係にウェイトが置かれていました。

通常の作品ならば、最澄遣唐使で中国に渡ってからがハイライトになると思いますが・・・この作品では、中国に渡るのは、作品の終盤にさしかかった頃・・・空海との関係はオマケみたいな感じです。
桓武天皇の改革と、それに伴う精神的な辛さ・・・後継者などの反発といった背景が描かれており・・・桓武天皇に見出された最澄が、中国から帰朝した時には、桓武天皇が死の病を患っており・・・後ろ盾を失った最澄が苦労したのがよく判りました。

最澄天台宗を知ったのは、奈良仏教に幻滅して比叡山にこもった頃で・・・鑑真が日本にもたらした経典の一部に含まれていて、天台大師智顗の死後200年経ったものだったそうです。
比叡山にこもって、数多くの経典を読んだあげく、天台宗の経典に感銘を受けた最澄は、唐に渡って天台山に登るのですが・・・その頃には、中国でも天台宗は衰退していたとか・・・帰国した最澄に対しては天台宗は時代遅れという批判がされたそうです。
もっとも、空海のもたらした密教も、著者によると、その当時には、中国では既に衰退の兆しが見え始めていたとか。

天台宗は中国にインドからもたらされた多くの経典を法華経を基に体系化したものであり・・・最澄は、その意識で密教も体系化の一部と考えていたようですが・・・空海は、密教こそ真の仏教だと考えていたところが、両者の食い違いの原因だという考えには、納得してしまいました。

ちなみに、密教自体は、インドでの仏教衰退を防ぐためにヒンドゥー教や土着の宗教を取り込もうとしたものであり、真の仏教でも無いし、必ずしも新しいとも言えないところが皮肉ですね。
もっとも、天台宗などの大乗仏教自体が、お釈迦様の教えから、かけ離れてしまっているので・・・どっちもどっちなのですけど・・・今となったら、ちょっと不毛な対立ですね。
そもそも、当時もたらされた数多くの仏教法典は、全てお釈迦様のお言葉だと勘違いされていたのだから、しかたありません。

ところで、車を買い替えたし、ひさしぶりに旅行に行こうと考えていたのですが・・・興味を覚えたので・・・休みをとって、ドライヴがてら比叡山に行ってみようと思っています。

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「雲と風と」 永井路子著 中央公論社