例えば、
比叡山はお堂が点在しているのに、
高野山は、宗教都市といった感じで、お堂だけでなく関連する庶民の家屋も集まっているのです。
さらに、建物の配置も、ある程度、都市計画的な意図があるような気がします。
これは、山を登っていくと、いきなり街が出現するという驚きを演出しているのかもしれません。
一方、
比叡山は、山岳修行の場という事で質素な生活のためか、庶民の家屋はほとんどありません。
もちろん、お堂の配置も、色々な僧が修行した場所を元にしているため、計画性は感じられません。
個人的には、人の手があまり加わっていないという事もありますが・・・
高野山よりも
比叡山の方が、霊山という雰囲気が漂っている印象を受けました。
そういえば、
高野山の
奥の院の途中には、戦国武将の慰霊塔が沢山並んでいるのも、なかなかディスプレイが上手いという印象ですね。
織田信長と
明智光秀も一緒の所にあるのは、死んでしまったら敵味方なく供養するという意味だそうです。
余談ですが・・・
比叡山のふもとの坂本の街を走っていると、
明智光秀の○○という表示が目につきます。
明智光秀は、
織田信長を討った逆賊というイメージがあるのですが・・・その善政により、今でも坂本あたりでは人気が高いという話を聞いた事があります。
そういえば、御大師様というと、
弘法大師空海をイメージしますが・・・坂本辺りでは、
伝教大師最澄を意味するなんていう話も・・・大師の称号を受けたのは
最澄が日本初なので、ある意味、こちらの方が正しいのかもしれません。
ひょっとしたら、
明智光秀が
織田信長を討った要因の一つは、そんな坂本という土地の風潮により、
比叡山焼き討ちが許せなかったのかも、なんて思ってしまいました。