98年前の伝教大師像

昨日は、比叡山への旅行の様子を紹介しました。
宿坊へ泊って、朝のお勤めへの参加など、貴重な体験もできて、とても良かったです。

以前も書きましたが、比叡山へ行こうと思ったのは、伝教大師最澄を主人公とした永井路子著の「雲と風と」を読んで興味を持ったからです。 
実は、もうひとつ、以前、ネットオークションで入手した小さな伝教大師像を所有しているのですが・・・それの裏に「伝教大師 一千百年御遠忌記念 晴正作」と刻まれていたのです。
延暦寺のホームページを調べて見たら2021年6月4日に伝教大師の一千二百年大遠忌が行われると書かれていたので・・・なんと、この像は1921年、つまり98年前に行われた記念品だと判ったのです。
これも何かの縁だと思ったので・・・この小さな像も延暦寺に連れていってあげたいと思ったのです。

もっとも、延暦寺のホームページには、伝教大師の亡くなる前に述べた言葉として「私のために仏を作ってはなりません。私のために経を写してはなりません。私の志を述べなさい。」とも書かれていたので・・・伝教大師像というのは、本人の意思に反しているのかもしれませんね。
そういえば、昔、ネットオークションで探したときに、弘法大師空海日蓮上人の像なんかに比べて、伝教大師の像って少なかった記憶があります。

ちなみに、亡くなる前に述べた言葉として、「私はいくたびもこの国に生まれ変わって、仏教を学び、一乗の教えを弘(ひろ)めようと思う。私と心を同じくするものは、道を守り、道を修行し、あい思ってその時を待ってほしい」というのもあるそうです。
なんか、本来の仏教の輪廻転生に近い考えで、悟りをひらいて仏になる事を望んでいないという、控えめな態度が好ましいですね。

そのせいか、昨日も紹介した延暦寺伝教大師御廟である浄土院も、なんとなく、ひっそりとした控えめな建物だったような気がします。
もっとも、延暦寺には伝教大師像がいくつもあるし、現在の天台宗のありかたを見たら伝教大師最澄はどう思うのか?という疑念もありますけど。

イメージ 1

イメージ 2
伝教大師像の裏

イメージ 3
延暦寺の浄土院(伝教大師御廟)

イメージ 4
「傳燈」 比叡山開創一千二百年記念写真集刊行会