後ろめたさ

昨日は、東京オリンピックの東京都外の施設の費用に宝くじの利益を当てるそうですが・・・やはり宝くじはギャンブルだし、そこに財源を求めるのは、釈然としません。
もし国民に負担を求めるならば、むしろ寄付を募った方が、平和の祭典に相応しい気がします。

私も、昔は、ジャンボなどの宝くじを買っていたのですけど、今は購入しなくなりました。
宝くじの収益の一部は公共のために使われるそうなので、外れても寄付したことになると、自分に言い訳していたのですけど・・・自分の信頼する団体に直接寄付した方がマシだと考えるようになりました。
それに、よく言われるように、あぶく銭は身に着かないような気がして・・・ちゃんと働いて稼ぐべきだと思うようになったのです。

こんなことを書くと、聖人君子のようですが・・・むしろ、後ろめたい気がするので、それから逃れたいと思っていると言う方が、当たっている気がします。

自分は、そんなに大した人間ではないと思っているので・・・贅沢な生活は似合わないと思っています。
あと、歳をとるにしたがって、お金があれば幸せだとも、思わなくなりました。
もちろん、お金が無いければ困りますので、普通な生活で良いと思うのです。

そして、そんなに大した仕事をしている訳でもないのに、人並の収入を貰っていると思っているので・・・世の中には、一生懸命なのに悲惨な思いをしている人がいると思うと、少しは寄付しないと申し訳ないと思ってしまうのです。

ちなみに、昨日、アムネスティのニュース・レターが届いたので、早速アピール・ハガキを書いて投函しました。
これも、ハガキの対象になる「良心の囚人」に同情して、善意で行ったというよりは、少しは世のため人のために何かしなければ申し訳ないという気持ちの方が大きいですね。