傷痍軍人の姿

昨日、終戦記念日の式典で、初めて戦後生まれの天皇陛下によるお言葉があったとニュースで言っていました。
なんでも、これまでの上皇陛下の意思を受け継ぐような内容だったそうです。

先日、特攻とか玉砕のような歴史に残るような出来事だけでなく、戦時中の市民の暮らしを伝えるのも意義があると思うと書きましたが・・・思えば、戦時中の出来事を記憶している人も少なくなってしまいました。
ちなみに、私の母は、東京大空襲を経験した世代ですが・・・認知症になってしまい・・・もう、当時の事を聞ける状態ではありません。
もっとも、以前は、戦時中の暮らしについて語ってくれた事もあり・・・今になって、あの時、もっと聞いておけば良かった・・・若い世代に、ちゃんと伝えていかなければならないと思います。

そいえば、先日、携帯電話を買うために新宿西口を歩いていた時、ふと思い出したのが、子供の頃、この場所に傷痍軍人が居たのを見かけた事でした。
当時は、新宿西口に限らず繁華街でよく傷痍軍人を見かけたもので・・・腕や脚が無い人、物悲しいアコーディオンを弾いている人もいました。

おそらく、恩給も支給されていたと思いますが・・・それだけは生活できなかったのでしょう。
あのような姿を晒しさなければならなかったなんて、今になってみれば、国による生活保障がどうにかならなかったのか?なんて思ってしまいます。
すっかり見かけなくなってしまいましたが・・・あの人達は、一体、どうなってしまったのでしょう?
今の若い人は、傷痍軍人なんて言っても判らないかもしれませんね。

もちろん、傷痍軍人日本兵だけではなく、アメリカ軍や中国軍などにもいたはずです。
そして、民間人でも、空襲などで、手足を失ったりした人もいたはずです。
一体、それらの人は、どうなってしまったのでしょう?

もっとも、大怪我をしても、命があった人は、未だマシなのかもしれません。
あの傷痍軍人の姿が、氷山の一角だと考えると、戦争が、いかに多くの人の人生を台無しにする悲惨なものだという事が判ります。