戦災孤児

暑さのせいか、歯のブリッジが取れてしまいました・・・ちょっと前から、グラグラしていたのですが、そのままにしていたら、今日、焼きそばを食べた後、無くなっている事に気づきました。
どうやら、一緒に飲み込んでしまったようで・・・歯医者に行かなければならないです。

昨日は、自分の絵が展示してあるのを観に上野の森美術館に行った事を書きました。
上野の駅の地下道の前を通った時に、先週の日曜日にTBSでやっていた『終戦スペシャル「子どもたちの戦争」』という番組を思い出してしまいました。

番組自体は、関口宏さんの司会で、中学生たちが戦時中の同年代の子供達の様子を観て、語り合うという内容で・・・その中に、終戦後に戦災孤児が大勢、上野駅の地下道付近にいたという事実も取り上げていました。
地下道は雨露をしのげるだけで、食料があるわけでもなく、餓死する者も多く・・・盗みなどの犯罪を犯す者も多く、やがてGHQの指導により、施設に強制収容されていったそうです。

先日、傷痍軍人に対する生活保障って、充分でなかったのではないか?といった事を書きましたが・・・戦災孤児も、かなり悲惨な扱いを受けていたようですね。

終戦後、上野近辺には、戦争孤児が沢山いたという事は、何かで読んだ記憶がありますが・・・今まで、上野の地下道を何度も通った時に、そのことを思い浮かべた事はありませんでした。
昨日、思い出して、改めてその場所を眺めたら、当時を連想されるものも無く・・・ちょっと残念な印象を受けました。

その後、帰宅して、テレビを点けたらTBSの「報道特集」で、「戦争孤児と500人のお母さん」という特集をやっていました。
なんでも、空襲で自分の子供を失った女性が、上野の地下道にいた戦災孤児を見て、養育所の職員となり、大勢の孤児を育てたそうです。
おそらく、多くの人が生きるのに精一杯だったため戦災孤児を見ても見ぬふりだった時代に、なんて凄い女性だったのでしょう。

ところで、傷痍軍人と同様に、戦災孤児の問題は日本だけでは無いと思います。
おそらく、中国や朝鮮でも、多く発生したのでしょう。
そして、現在でも、世界の紛争地では、多くの戦災孤児が発生しているという事も忘れてはいけませんね。