戦争で悲惨な思いをした人

昨日は、上野の森美術館へ行った時に上野駅の地下道を見て、テレビ番組でとりあげていた戦災孤児を思い出した事を書きました。
傷痍軍人などもそうですが・・・今にして思うと、国による生活保障などが不十分で無かったのか?なんて思ってしまいます。

そういえば、先日、ニュースで、終戦直後の満州における接待所という施設で、他の開拓民を守るためにソ連兵の相手をさせられた女性たちの話を取り上げていました。
その方たちは、恥ずかしさから、戦後、ずっと隠してきたそうですが・・・今になって、その体験を後世に伝えたいと思う様になったそうです。

以前、従軍慰安婦問題について、韓国人の慰安婦の何倍も日本人の慰安婦がいたはずなのに・・・その人達の保証はどうなっているのだろう、と書いたことがあるのですが・・・どうやら、掘り起こせば、当時、このような悲惨な目にあった人は、様々あって・・・その人達の犠牲の上に、今の幸せな日本は出来上がっているようです。

もちろん、韓国の従軍慰安婦や徴用工だけが悲惨という訳ではなく、日本人だって悲惨な思いをしているんだぞ、なんて主張したい訳ではありません。
従軍慰安婦の中には、中国や台湾など、他の国出身者もいたし・・・ソ連兵と似たような事は、日本兵だって占領した土地で行っていたのでしょう。
戦災孤児傷痍軍人だって、他の国でも大勢いたはずです。

最近、終戦の日にちなんだテレビ番組なんかで、戦時中の歴史に残るような出来事に限らず、庶民の暮らしも取り上げるようになってきたのは、良い傾向だと思います。
しかし、気になる点もあります。
なんか、戦争で悲惨な思いをした日本人の事ばかり、取り上げられているような気がするのです。
これも、トランプ大統領などに代表される自国第一主義の影響なのでしょうか?

日本人と同様に、他の国で戦時中に悲惨な思いをした人についても、取り上げるべきだと思います。
もちろん、過去の戦争で日本が行った事について、自虐的な意識を持てという訳ではありません・・・日本人という民族的な観点でなく、もっと、グローバルで公平な立場で扱った方が良いと思うのです。

戦争に負けたから悲惨だったという訳ではなく、もし勝ったとしても、全体としてみれば、悲惨な思いをする人が多く発生するのが戦争というものだ、という事をはっきりさせた方が良いと思います。
なんか、自国第一主義などにより、最近の世界情勢は、紛争解決の手段として戦争もやむなしというような考えが増えているような気がします。