オリンピックとナショナリズム

昨日は、戦争で悲惨な思いをした人は、今まであまり語られなかったような人も沢山いたようだという事を書きました。
現在の幸せな日本は、そういった人の犠牲の上に成り立っている事を忘れてはいけないと思います。

歴史に残るような戦時中の事件に限らず、当時の庶民の暮らし等を取り扱った番組が増えている事は良い事だと思うのですが・・・悲惨な思いをした日本人ばかりに焦点を当てているのが、ちょっと不満です。
もっと、グロ-バルで公平な観点から、戦争で悲惨な思いをした他国の人も、同様に取り上げて欲しいと思います。

どうも、トランプ大統領に代表されるような自国第一主義の台頭により、世界的にナショナリズムが強まっているような気がします。

そういえば、日曜日のNHKスペシャルは「戦争と”幻のオリンピック” アスリート 知られざる闘い」というタイトルで、戦争の激化で中止となった、1940年の東京オリンピックと、出場を諦めた選手たちを取り上げていました。
もちろん、当時はナショナリズムがもっと強く、オリンピック選手は国の威信を背負っていましたが・・・出場できなかった水泳選手は、国同士の競い合いではなく、記録会という形で自分との闘いを行ったそうです。

この記録会を主催したのが大河ドラマ「いだてん」でもお馴染みの松澤一鶴氏だったそうです。
そして、松澤氏は戦争で多くの教え子の水泳選手が命を失った事から、戦後になってやっと開催できた東京オリンピックの閉会式で発案したのが・・・国ごとの行進ではなく、各国の選手が入り混じって手を取り合い行進する「平和の行進」だったそうです。

以前も書きましたが、オリンピックって、ナショナリズム発揚に利用される事が多いですね。
もちろん、頑張っている日本の選手を応援するのは良いのですが・・・同様に、頑張っている外国人選手も応援したいし・・・良い試合を繰り広げてくれる事が一番だと思います。

日本政府のように、メダルの個数に拘り、大金をかけて強化プログラムも行うのは、なんか変だと思います。
メダルの数が多いから、日本人が優秀だなんて思わせたいのでしょうか?
良い練習施設があり、良い器具を使い、良いコーチがいれば、良い成績を残すのは当然です。
それで、お金の無い国の、ろくに練習もできない選手に勝っても、素直には喜べません。
そもそも、世界には、女性がスポーツをするなんて論外という国や子供が働かなければならず運動なんてできない国が沢山ある事も忘れてはいけませんね。