確か、現在、国立近代美術館で横山大観の生誕150年の展覧会を開催しているのですが・・・未だ、観に行っていません。
もちろん、横山大観って有名だし、その作品も結構好きだったのですが・・・改めて、その魅力を知り、展覧会を観に行こうか、という気持ちになりました。
例えば、有名な「生々流転」は。以前観た事があるのですが・・・水の一生を描いただけでなく、一日の時の移り変わりを描いており、一年の季節の移り変わりも描いていて、つまり自然は循環する事を描いた、という事までは知りませんでした。
他にも、ナイヤガラの滝とかハレー彗星も、当時は描く人がいなかった、なんて事も思い至りませんでした。
かつての居宅だったため、そんなに広くないので、展示してある作品は限られていますが・・・ここで描いていたんだと思うと、感慨深かったです。
横山大観ほどだったら、もっと大きな屋敷に住んでいても良かったようにも思えるのですが・・・美術館や美術学校なんかに近いという立地条件が良かったのかもしれません。
あと、番組冒頭で、代表作の一つ「無我」について、手前の左袖の描き方と奥の右袖の描き方の違いを解説していましたが・・・私は、右側だけ手が見えているのが気になっています。
しかし、現在、多く出回っている米治一(原型)の無我童子像は、右手も袖に隠れて見えないのです。
何故、横山大観は右手だけを描いたのか?・・・何気に勢いで描いたように思っていたのですが・・・今日の番組内容を考えると、結構、構想を練って描くタイプだったようなので・・・意外と深い意味があるのかもしれません。
もちろん、何故、米治一作の無我童子像は、右手を省略するようになったのか?も気になっています。
「大観の画論」 横山大観記念館編
横谷大観記念館所蔵品目録
「無我童子像」 米治一 作