沖縄の扱われ方

昨日のNHKスペシャルは「沖縄 空白の1年 1945‐1946 ~”基地の島”はこうして生まれた~」というものでした。
先日、マッカーサーによる、日本の復興政策などについて、日本に対する知識があったので、結構、上手く行われたと書いたのですけど・・・沖縄は全く違っていたようです。

沖縄では大規模な地上戦が行われたので、県民の4分の1にあたる約12万人が犠牲になりました。
で、米軍は、沖縄に12地区の民間人収容所を作り、なんと、県民の9割にあたる30万人が収容されたのです。
これは、民間人を戦闘から守るという名目だったそうですが・・・民間人収容所は山間部に建てられていて・・・住民のいなくなった村落のある平野部には、日本本土攻撃用の飛行場などの基地が作られたそうです。

この収容所については、初めて知ったのですけど・・・かなり劣悪な環境だったようで・・・豚小屋のような狭いところに閉じ込められて、座ったままでしか寝れなかった、という証言がありました。
そして、マラリアの蔓延や深刻な食糧不足により、収容されていた1年間の間に、少なくとも6,400人が命を落としたそうです。

どうも、日本軍の捕虜収容所とかの扱いが非難されることが多いですけど・・・アメリカ軍も民間人に近いような事をやっていたのですね。
おそらく、戦争という厳しい状況のなかなので、しわ寄せを受けるのは、弱い立場の者になってしまうのは避けられないのかも・・・どこの国の軍隊でも、似たような事をするのかもしれません。

さらに、終戦後は、日本本土に避難していた10万人もの県民が帰還してきたこともあり・・・生きていくための仕事といえば、米軍関係の仕事しかない、というありさまだったようです。

その後、ソ連や中国などの共産主義勢力の台頭に対するため、マッカーサーは日本本土の民主化を優先し、沖縄は単なる出先機関ではない、と、日本への返還を見送り、米軍による占領が続く事になります。

なお、マッカーサーは、「沖縄の占領に日本人は反対しない、なぜなら沖縄人は日本人ではないから」と、言ったそうです。
マッカーサーが父親の関係で日本に居たのは、日露戦争の頃だそうで・・・ひょっとしたら、その頃の日本人には、まだ琉球国という意識があったのかもしれませんね。

そういえば、たぶん沖縄返還前だと思いますが・・・沖縄出身の南沙織が、番組で沖縄語ってどんなものがあるのか?と訊かれて、沖縄弁ではなくて沖縄語っていうのは、同じ日本人として見ていない、と怒っていたのを思い出しました。

その時は、訊いた人も悪気はなかったのだろうと思って、なんでそんなに怒るのか、不思議に思ったものでしたが・・・今回の番組を視て、沖縄の人の受けた扱いを考えると、少し理解できました。