今日は、比較的暑くなかったので、庭木の手入れをしました。
どうも、今年は木の伸びる速度が早いような気がするのですが・・・結構、枝を切る事になりました。
そんなに暑くないといっても、やはり汗だくになったので・・・・早めに切り上げて、部屋でテレビを点けたら、テレ朝で「ザ・スクープ・スペシャル 緑十字機 決死の飛行~誰も知らない”空白の7日間”~」という、番組をやっていました。
先日、マッカーサーについて書いたのですが・・・この事実は知らなかったので、興味深く拝見しました。
マニラに向かう特使に託されたミッションは、
①進駐日程を遅らせ反乱軍鎮圧の時間稼ぎ
②進駐先から反乱軍の総本山・厚木を外す
②進駐先から反乱軍の総本山・厚木を外す
というものでした。
木更津飛行場を飛び立った緑十字機は、往路で反乱軍の戦闘機の攻撃を逃れたり、様々な困難を乗り越えたのですが・・・結局、帰路に燃料切れで、浜松近辺の海岸に不時着し、特使は浜松飛行場にあった故障中の爆撃機を修理して、調布飛行場へ帰り着きます。
それでも、予定より僅か8時間半遅れだったそうです。
当時の厚木飛行場では、反乱軍が機銃や対空砲火を乱射したりして混乱状態だったのですが・・・早急に鎮圧しなければいけなくなったため、反乱軍の首謀である小園司令がマラリアの後遺症で錯乱状態になったところを拘束し、野比の病院へ監禁したそうです。
また、反乱軍が滑走路に300期もの飛行機の残骸を並べていたのを、豪雨の中、撃たれるのを避けるためライトも点けずに撤去したそうです。
反乱軍の存在を米軍に隠していたといいますが・・・緑十字機が飛び立った木更津飛行場や爆撃機が着陸した調布飛行場もあったのに、マッカーサーが厚木飛行場に拘ったのは、薄々、反乱軍の存在に気づいていて、日本側の処理を試したのではないでしょうか?
緑十字機が燃料切れになったのは、補給時のリッターとガロンの計算間違いとか、敗戦を快く思わない整備士が増槽タンクへ燃料を入れなかった等の説があるそうですが・・・もし、特使が帰り着くことができなかったら、日本の戦後は大きく変わっていたと思います。
余談ですが、浜松飛行場にあった故障中の爆撃機は「飛龍」だったとか・・・私の父が戦時中に乗っていたのと同型機です。
父の話では、最新鋭機だったので、温存するために、空襲を避けて、あちらこちrの飛行場を転々としていたので、戦闘に参加せずに助かったそうです。