この件については、もうちょっと考えをまとめて、また後日に書こうと思います。
そのため、当初から、日本の戦後処理については、天皇を上手く利用する事を考えていたのではないでしょうか?
番組では、マッカーサーと天皇の最初の会見の時に撮影された写真とか、マッカーサーが厚木飛行場に降り立ったときの映像のような「演出」について述べていましたが・・・それも、日本人がどういう物を敬うかという印象を計算しての上だと思います。
ちなみに、番組では、厚木飛行場には事前に米軍が何度も着陸のリハーサルをしていたとか、述べていましたが・・・
厚木飛行場と言えば、終戦の日に玉音放送を阻止しようとして皇居に乗り込んだ部隊の基地であり・・・マッカーサーに同行した兵士が、未だ武装解除も終わっていない日本軍の高射砲が並んでいるのを見て、びびってしまったという話もあるので・・・やはり、マッカーサーの行動は、演出とはいえ、勇気があったといえるでしょう。
しかし、暗号の解読と空軍の力・・・特に空輸という手段を使って、日本軍の手薄なところに集中して攻撃をしかけ、飛び飛びに飛行場を建設していくという作戦を行ったのです。
(このため、攻撃を受けた場所では、アメリカ軍の物量が豊富に思えたようです)
その結果、南太平洋に全域に散らばった日本軍は、後方kらの食料や弾薬の補給を絶たれてしまうのですが・・・こういった場合は、戦線を縮小して体制を立て直すべきところ・・・退却をするよりも、飢えと弾薬不足を我慢するという、日本人の特性を理解していた作戦だと言えるでしょう。
この日本人の特性をよく理解しているマッカーサーの存在は、戦後の復興ではプラスに働きます。
その地域に対する理解が少ないため、アフガニスタンやイラクなど多くの地域で、戦後処理が終わった後、再び混乱に陥ってしまった事を考えると・・・このマッカーサーの取り組みは、非常に良い結果をもたらしたと思います。