平和国家

昨日は、象徴天皇の在り方について検討するとき、どうも過去の事例に捕らわれすぎている様に思うという事を書きました。
同様に、昨日放映されたNHKスペシャル憲法70年 ”平和国家”はこうして生まれた」について思った事を書きます。

番組内容は、憲法改正論者の中に、今の憲法アメリカに押し付けられたという事を言う人が多いので、そうではないと言いたかったような印象を受けました。
番組によると、そもそもマッカーサーによる憲法草案には、戦争の放棄と戦力の不保持はありましたが、平和という文言は無かったそうです。

これ対して、衆議院小委員会で当時の鈴木義男議員が「ただ戦争をしない、軍備を皆棄てるということは、ちょっと消極的な印象を与えるから、まず平和を愛好するのだということを宣言しておいて、その次に、この条文を入れようじゃないか」と主張して、皆の賛同を得たそうで・・・その結果、憲法9条の前段に「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」という文言が組み込まれました。

そもそも、平和国家という理念は、憲法改正調査委員会のはるか以前、戦後初の国会が開催された時に、昭和天皇が「平和国家を確立して人類の文化に寄与せんことをこいねがう」という勅語を述べたのが始まりだそうです。
ちなみに、昭和天皇終戦後1か月もしないうちに近衛文麿に、憲法改正の調査を命じていたそうです。

ところで、以前も書きましたが、私は憲法改正論者です。
多くの憲法改正論者のように、憲法9条の改正を望んでいる訳ではありません。
憲法の顔とも言える、第1条が天皇だというのが良くないと思っています。
ご存知だと思いますが・・・第1条は、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」という文言です。

ちなみに、民主主義国家にとって一番大事な国民主権について、日本国憲法には規定する条文はありません・・・この1条の「主権の存する日本国民」という言葉から、国民主権だと解釈されるのですが・・・この条文は明らかに天皇の地位について述べているものです。
だから、1条は明確に国民主権を述べた条文にして、天皇の地位の条文は、もっと後に回すべきだと考えています。
あるいは、天皇については、憲法で規定しなくて、別の法律でも良いかもしれません。

昨日の番組を見ていて判ったのは、マッカーサーは草案を作るにあたって、天皇を戦犯として処罰しようとする極東委員会に対応するために、わざわざ第1条で天皇に権力が無く、存続させても大丈夫だという事を述べる必要があったようです。
つまり、第1条こそが、既に過去のものとなった当時の状況によるものなので・・・70年たって陳腐化したと言えるでしょう。