禅のことば

昨日は、世田谷のボロ市に行って、木彫りの達磨大師の置物を購入したいきさつを書きました。
ふと目についた物を購入したのですが・・・ひょっとすると、先日、読み終わった本の影響があって、無意識にその置物を選んだのかもしれません。

その本とは、以前書いた、神保町ブックフェアで購入した数冊のうちの一冊で、「禅のことば 禅のこころ」というタイトルのものです。

ご存知のように、達磨大師は、禅宗の開祖です。
だから、その時は、全然意識していませんでしたが・・・後から考えると、深層心理で、達磨大師の置物を選んだような気もします。

もっとも、この本は、タイトルから推測できるように、禅僧のように禅に関わった先人たちの言葉をまとめたもので、もちろん日本人によるものが中心となっていて、特に達磨大師を取り上げたものではありません。

なかなか、生きていくうえでためになる、心に響くことばが200ほど収録されていますが、印象に残ったものとしては

 「無心は、いっさい心なきなり」 黄檗
 「身びいきが迷いのもと」 盤珪
 「本来無一物」 慧能
 「至道無難、唯だけん択を嫌う」 趙州
 「心は万境に随って転ず」 『景徳伝灯禄』
 「思わじと思うも物を思うなり」 沢庵
などなど

こうしてみると、なんか、物事にこだわるなと言っている言葉が多いように感じます。
やはり、瞑想して自分の心と向き合っていると、そんな感じになるのでしょうか?

これらの言葉を述べた人は皆、立派な思想家だと思うのですが・・・熱心な仏教徒でない私としては、何故この人たちが、こだわるなと言っておきながら、仏教にこだわるのか?ちょっと疑問に思えました。
この人たちが生きた環境から、仏教が大前提だったのかもしれませんが・・・思想家として、ここまで高い境地に達したのなら、仏教から離れて、もっと自由になりそうな気もします。
なんか、孫悟空がお釈迦さまの手の上から逃れなかった事を連想してしまいました。

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「禅のことば 禅のこころ 気持ちをすっと落ちつかせる」武田鏡村著 日本実業出版社