マグリット

一昨日、昨日とフォロンについて書いてきました。

フォロンは、子供の頃、遊んでいたテニスボールが展覧会の会場に入ってしまったので、追いかけて会場へ入って目にした絵に感銘を受けて、画家を目指したそうです。
その時、開催されていたのがマグリット回顧展だそうで、「絵の中ではなんでもできるのだな」と思ったそうです。

先日まで、マグリット展が開催されていましたが、生憎、見に行っていません。
別に嫌いという訳ではないのですけど、見に行く暇がなかったというか・・・
無理してでも見に行くと言うほど好きでもない、というのが本音です。

どうも、マグリットの絵って、実物だからといって、そんなにインパクトがあるように思えません。
先日も書きましたが、フォロンの絵が心(感覚)で描いているのに対して、頭で描いているような感じがします。
で、心で描いた絵は、見る人の心に訴えてくるしし、頭で描いた絵は、見る人の頭に訴えてくるような気がします。

そういえば、音楽でも、理論とかで作られた曲は、頭に響いてくるし、感情とかで作られた曲は、心に響いてくるような気がします。

もちろん、どちらが正しいという話ではありません。
大抵の一流作品は、割合が違っても、どちらの要素も兼ね備えているし・・・
両方を高度な水準で備えている物が、一番良いと思います。

で、マグリットの絵って、アイデアというような頭で考えた要素が強いから、実物を見ても写真とそんなに変わらないように思えるのではないでしょうか?

そういえば、昔の芸術新潮マグリットの特集に、「先達はキリコとエルンスト」と書いてありました。
でも、キリコも、エルンストも、頭で考えた要素だけでなく感覚的な要素も強いように思えるのですが・・・
何故か、マグリットは、その点について影響を受けなかったようです。

逆に言うと、その感覚的な面を排した、クールで判り易い感じが、マグリットの特徴なのかもしれません。

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昔のマグリット展の図録

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芸術新潮」 1998年5月号 新潮社