無我

以前、世田谷のボロ市で入手した仏像について書きました。
今回も、ボロ市で入手した置物について書きます。

横山大観の傑作に無心の童子を描いた「無我」という日本画があります。
(同じ構図の絵が3作あるらしい)
この絵の童子をモチーフにした置物があり、ボロ市にもよく出品されています。

ある年のボロ市で、会場のはずれに出展していたお店に、その童子の置物が置いてあり、何故か気になったので手にとってみました。
結構、塗装も剥げて古そうな感じでしたが、¥3,000という値札がついていました。
安いように思えたので買う気になり、お店の人に「もっと安くならない?」と訊くと「じゃぁ 2,500円」ということで購入しました。
その後も会場を見て周っていたら、他のお店でも同じ置物が出品していて、もっと新しめの感じでしたが¥9,800の値札がついていて、得をした気になっていました。

家に帰ってきて、置物の下を見ると「治一 作」と刻んであったので、ネットで調べると、米治一という作家の作品で「無我童子」という物があるのが判明しました。
結構、有名らしく、ネットでも沢山売られていたのですが・・・・
よくみると、私が購入した物と、顔の表情が違うし、右手が袖から出ていないなど、あきらかに違っていました。
安かったのは、偽物だったのか?それとも幾つかのバージョンがあるのか?
真相は不明ですが、私が購入した物の方が表情が良いので、気にいっています。
(よく売られている物は、なんとなく表情が現代風に可愛い感じがします)

と、こんな事を言っていますが・・・
無我とは、原始仏教では、我ならざる物、つまり、死んでしまえばすべて自分の物ではなくなってしまう、と言う事で、執着を持たないことを意味しています。
そして、大乗仏教では我を滅する事、つまり空の境地になります。

もっとも、私はその境地にはなれそうもありません。
以前も書きましたが、物にも魂が宿るというアニミズムを信じているので、結構、物にはこだわります。
もちろん、死んでしまえば自分の物では無いという事は、判っているので、そんなには執着しませんが・・・
所有した方が、その物の本質が判ると思っています。
そんなこんなだから、コレクションが増えてしまうのですね。

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