聖書とか仏教教典では、部分によって教えが異なる矛盾を多く含んでいます。
昔は、お経はすべてお釈迦様の教えだと考えられていたので、釈迦の方便と言って、教えを聞く人の理解に合わせて、教え方を変えたのだと解釈されていました。
実際は後の時代に、他の宗教が混じったり、色々な人の思惑によって付け加えられたものが多いのです。
一方、クルアーンは、部分によって教えが異なることがほとんどありません。
また、文章も統一がとれて素晴らしい文体です。
しかし、こちらも後の時代に、色々なクルアーンがあった中から、もっとも正しいとされるものに統一し、他は破棄されたためだから、と言われています。
実際、仏教教典の多くは、インドから中国に入ったときに漢字に翻訳されて、変わってしまいました。
なぜなら、漢字は表意文字なので、名前などの音に適当な漢字を当てはめたのですが、後でそれを読んだ人が、この漢字が使われているのだからこういう意味だと、勝手に解釈してしまったのです。
でも、本当は沙羅の木が2本という意味だったそうです。
これなんか、逆に漢字の意味を考慮しなかったのですね。
そういえば、日本では北枕は縁起が悪いとしていますが・・・
元は、お釈迦様が北枕で西を向いて入滅されたことが由来です。
もともと、インドは暑く屋外で寝る事が多いので、頭寒足熱ということから北枕が正しい寝方とされているのです。
(日本や中国は屋内で寝るのが普通なので、理解しづらいですが・・・)
また、地磁気の面からも、北枕で寝ると頭の働きが良くなると言われています。
そして、西を向いていたのも、心臓に負担をかけない寝方だからです。
つまり、お釈迦様は普段通りの正しい寝方で入滅されたのですね。
クルアーンは、翻訳による、このような勘違いを排除しているのです。
でも、色々と解釈できて、地域によって多様な仏教が生まれたのも、その土地土地に合った仏教という面から、あながち悪い事だとは思えません。