本来の仏教の教え?

帰宅して、テレビを点けたらTBSの「この差って何ですか?」という番組で、仏教のしきたりなんかを取り上げていました。
もちろん、お釈迦様がこんなしきたりを創った訳ではなく、後年の人(主に日本人)が、権威付けなど、様々な思惑を持って作ったので、そんなに厳密に守らなくても良いような気がしました。

そういえば、先日、豊臣秀吉の妻である北政所ゆかりの高台寺にアンドロイド観音が登場したニュースがありました。
邪道だ、という声もありますが・・・若い人の仏教離れをくいとめるためには、良い取り組みのように思えます。

そもそも、お釈迦様は自分の教えを広めようとしましたが、自分を崇拝するような事を望んでいた訳ではありません。
そのため、仏教には偶像崇拝って習慣は無く、初期仏教では、仏塔や法輪などが崇拝されていました。
やがて、ギリシャ文化の影響を受けた西域のガンダーラなどで、仏像が作られるようになったのです。

その後、製造方法は、石造り、鋳造、一木造り、乾漆づくり、複数木材の組み合わせといった感じで変遷していき、よりリアルな感じになっていきます。
初期の仏像は、伝観音菩薩といったように呼ばれる物もあり、現在の様に様式が確立されていなかったため、観音菩薩か?勢至菩薩か?といった感じで、なんの仏様なのか?判らないものが多く、言い伝えで観音菩薩だと判るものが多いです。
つまり、後年の仏師などが、より多くの人に仏教の教えを広めようとして、最新技術を取り入れてアピールしてきた結果が、現在、私たちが知る仏像となったのです。

だから、アンドロイド観音も、その取り組みを正しく受け継いでいるように思えます。
もちろん、仏教を庶民に親しみやすく広めようとするのは良いのですが・・・それだけで、本来の教えを伝える事ができるか?は判りません。

ところで、よくある・・・六角経蔵を回転させるとお経を詠んだとおなじ功徳があるとか、お寺の境内を巡ると四国八十八カ所を巡ったと同じ功徳がある、なんていう話も、後年の人が言いだしただけで、それほど根拠があるとは思われません。
そんなんだったら、現在の技術を使えば、マニ車を高速で回したり、VRで昔の祇園精舎に行ったり・・・とんでもない功徳を簡単に得る事も可能になりそうです。

もっとも、それが有難い?かは別ですけど・・・そもそも、有難いって、大海で目が見えない亀が浮き上がったら流木に当たったというぐらい、あり得ないほど貴重だという意味だから・・・それぐらい、仏教本来の教えを理解するのは大変なのでしょう。