ビル・クリントン

アル・ゴアについて書いたのなら、やはりビル・クリントンについて書いておくべきでしょう。
クリントンこそ、ベビーブーマー世代の最初の大統領です。

なお、副大統領のアル・ゴアとは、それまで面識はありましたが、別に親しくはなかったそうです。
自分の詳しくない事が得意であるだけでなく、自分より若く有能なので、ニューデモクラットを強く印象付けられると思ったからだそうです。

クリントンが大統領だった当時は、何故か東部の裕福な階級の出身だと思っていました。
実際は、南部(アーカンソー州)の貧しい階級の出身だと知って驚きました。
やはり南部は保守的な考えが強いですから・・・
クリントンも政治活動をはじめた頃、地元をまわると北部のヒッピー出身と勘違いされたそうです。
(なお、アル・ゴアワシントンD.C.出身で、父は上院議員です、)

高校生のクリントンケネディが握手している有名な写真がありますが・・・
若くてハンサムな大統領ということで、どうもケネディクリントンを重ね合わせて見ていたのかもしれません。
本人は自覚していなかったそうですが、ケネディと握手してホワイトハウスから帰って来たクリントンを見て、彼の母はこの子は将来政治家になる決意をした、と感じたそうです。
その4ヶ月後に、ケネディはダラスで暗殺されます。

また、ケネディと握手をした1カ月後に、クリントンはTVでキング牧師の有名なアイ ハヴ ア ドリームの演説を聞いて、感動で涙が止まらなかったそうです。
(後にキング牧師も暗殺されてしまいます)

このケネディキング牧師の影響が、クリントンの将来を決めたと言われています。
なお、大統領になってから、キング牧師の言葉を演説の中で使ったりしています。

クリントンが生まれた時、すでに父親は亡くなっていて、祖父母に預けられて育ったそうです。
その祖父は気前の良い人間で、人種差別の強い南部でありながら、経営する雑貨店には貧しい黒人のお客が多かったそうです。
そして、祖父は「精一杯働いている善良な人間には、家族を食べさせていく資格があるはずだ」と言っていたそうで、彼が死んだ時には、未払いの請求書が沢山残されたそうです。
そんな訳で、クリントン自身も偏見無く、店に来る黒人の子供たちと遊んでいたそうです。
でも、かなり保守的な地域だったため、あの界隈で黒人と遊ぶ唯一の白人の子供として、地元の人の記憶に残っていたとか・・・

別に戦争で悲惨な思いをした親が子供に平和の素晴らしさを教えた訳ではありませんが、この幼少期の経験が、リベラルの大統領の元になっているのでしょう。

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「マイライフ クリントンの回想 上巻 アメリカンドリーム」 ビルクリントン著 楡井浩一訳 朝日新聞社

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「マイライフ クリントンの回想 下巻 アメリカンパワー」 ビルクリントン著 楡井浩一訳 朝日新聞社