先週12日のチコちゃんに叱られるで、『人間だけが絵を描けるのはなぜ?』という問題があり、答えが「人間だけが言葉を使うから」というものでした。
で、えらい先生が、サルなどの動物も絵を描く事はできるが、何を描いているか分からなく・・・「言葉に説明できない部分は絵に描けないという大原則がある」と解説していました。
この解説を聞いて、抽象画は絵ではないのか?と思ってしまいました。
よく美術館で、おばさんなんかが抽象画を見て「何が描いてあるのか分からない」なんて言っていますが・・・おそらく、言葉で理解しようとしているのでしょう。
感覚で理解しなければ・・・カッコよくいえば「心で理解しなければ」・・・分からないですよね。
そういった意味では、サルの描いた絵でも感動するものであれば、美術品として評価されることがあるのが判ると思います。
前々回、「重要文化財の秘密」展を観て、日本の美術界は古臭いように感じた事を書きました。
どうも、日本ではまだまだ絵画を言葉で理解しようとする文化があるようで・・・重要文化財を指定する人達も言葉で絵を理解しているような気がします。
逆に言えば・・・ミッド・ジャーニーのようなAIの描いた絵は、指示された言葉を絵に表しているので・・・チコちゃんの言う絵の範疇では、人間以外にもAIでも絵を描けると言えちゃいますね。
具体的に形のある人物や風景を描くのには具象画も良いのですが・・・心地よいなんていう感覚や苦しいなんていう感情を描こうとしたら抽象画が良いです。
もちろん、「心地よい」とか「苦しい」というのは言葉ですが・・・どんな風に心地よいとか苦しいというのは言葉では表すのは困難なので、絵で表現するしかないのです。
(AIは感覚や感情を持っていないから、真にそれを表すような抽象画を描く事は無理ですね)
具象画で描こうとしたら、「心地よい」は木漏れ日の絵とか「苦しいは」は歪んだ顔のような絵になるかもしれませんが、それは感覚自体や感情自体でなく、代理で物に投影しているだけです。
それだと、言葉で理解する人には、単に木漏れ日を描いた絵とか歪んだ顔を描いた絵としか分からないかもしれません。
代理で物に投影したものでは、感覚や感情を正しく表すのは難しいと思います。
そういえば、昔はヌードを描いた絵を美しいと見ないで猥褻だと感じる人が多かったとか・・・具象画に投影するのは難しいですね。
ちなみに、感覚や感情を表すのは、昔から音楽がやっていたことです。
(音楽でも、列車の音や爆撃音などをギミックで使う事もありますが・・・)
おそらく、絵画を言葉で分かろうとする人は、題名や歌詞でしか音楽が何を表しているか分からないのかもしれませんね。
いつの日か、ロック・ミュージックのようなカッコよいと感じる抽象画を描いてみたいですね。