小乗仏教

マスクに関する規制が緩和され、個人の意思を尊重して、マスクをしない人も見かけるようになりました。

海外ではほとんどの人がマスクをしていないと言いますが、日本は集団免疫を獲得するほどトータルの感染者数が多くありません。

また、TBSの報道特集で取り上げていたように日本では新型コロナ治療薬が海外ほど使わていません。

というわけで、花粉症もある私はしばらく様子を見て、マスクをしていない人が増えても感染者数が増えないようであれば、マスクを外すかな?と思っています。

 

さて、お彼岸なので明日か21日に墓参りに行こうと考えています。
もっとも、お彼岸という行事は日本独自だそうです。

なんでも、浄土信仰によるものだとか・・・

 

そもそも仏教の彼岸とは、煩悩に満ちた世界から、修行により悟りを開いて仏となった世界に行く事を言います。
ところが、日本では浄土信仰により、阿弥陀様の力により死んだら仏になって浄土に行く事になっています。
本来の仏教は輪廻転生なので、四十九日経つと生まれ変わるのですが、日本では誰でも仏になります。
で、阿弥陀様がいるのが西方浄土なので、太陽が真西に沈む春分秋分をお彼岸といって先祖参りするようになったとか。

 

このような仏教に変貌したのは、日本土着の先祖崇拝があった影響だと考えられています。
本来の仏教では輪廻転生してしまうので、遺骨は川に流したりしてお墓を重要視しませんし、位牌とか仏壇なんてありません。

 

もっとも、本来の仏教と違うというのが悪い訳ではありません。
ちょうど読んでいる「インド仏教史」(早川彰著)という本に書いてあったのですが
 「仏教が多くの部派に分裂して、しかもそれぞれの部派が、仏教であると公認されていたのは、仏教が本来、個人の自由な思索や悟りを重んじたためである。」

以前も書きましたが、お釈迦様は悟りを開く修行方法を説いたのであって宗教は説かなかった、後の人が悟りを開いた人を神聖化して仏教という宗教を作ったのです。

要するに、お釈迦様の説いた修行方法により、後の人々の神秘体験や考え等が付け加わった物が仏教なので、様々な宗派があって当たり前、日本の風習に合った仏教というのも在って良いのです。

 

そもそも、中国でインドから入った仏教を漢訳するときに、中国人の理解しやすいように儒教道教の概念に合わせた物が日本に伝わったのです。

この点、マホメットが聴いた神の言葉はイスラム語だったから、イスラム語以外はコーランとは認めないなんていうイスラム教とは大違いですね。

 

「インド仏教史」によれば、初期の仏教教団は厳格な戒律を望まない大衆部の登場により、戒律を重んじる上座部に分かれたそうです。
大衆部と上座部はさらに多くの部派仏教に分かれ、後の世に大衆部から大乗仏教が発生したそうです。
で、大乗仏教の人が上座部から発生した説一切有部を蔑視して小乗仏教と呼んだそうです。


ちなみに、上座部が各派に分かれた後の残った上座部スリランカに伝わり、それが現在の東南アジアに伝わった南伝仏教だそうです。

日本では、以前から「大乗仏教に比べて劣っているから南伝仏教小乗仏教と呼んでいたが、現在は劣っているという認識を改め上座部仏教と呼ぶようになっている」なんて言われていました。
しかし、そもそも説一切有部上座部は異なっており、日本での小乗仏教という言葉の使い方自体が間違っていたのですね。

 

というわけで、仏教全体から見れば日本の仏教は変わっているし・・・本当の仏教だとか正しい仏教なんていう事自体がおかしいのです。

仏教が本来、個人の自由な思索を重んじたものだし・・・マスクを着けるか着けないかも個人の自由ですね。