解脱

少し前に、そもそも仏教は偶像崇拝禁止だったが、後年ギリシャ文化の影響を受けてガンダーラ等で仏像が作られるようになった事を書きました。
お釈迦様は山にこもって修行していた時などを除き剃髪していたのですが、仏像の髪型は螺髪になっています。
実は、螺髪バラモン教の知恵を表すバラモン(宗教者)の髪型でした。

何故、仏像に螺髪が表現されるようになったのか?不明です。

 

そういえば、中村元博士によると、お釈迦様は宗教を説いたのではなく、バラモン教における修行の仕方を説いただけだったようです。

だから、初期の経典では、お釈迦様が「真のバラモンとは~」というような事を述べているのです。

 

輪廻転生という概念は昔からインドにあった事は知っていたのですが・・・最近読んだ本によると解脱という概念も昔からあったそうで、それは輪廻転生の輪から逃れる事を意味していたそうです。
で、お釈迦様登場以前のバラモン教でも解脱する事が理想だったのですが、それは祭祀によって解脱するとされていたそうです。
一方、バラモン教の腐敗を批判して登場したお釈迦様のような宗教者(沙門)は、生まれながらのバラモン階級に関係なく、誰でも修行によって解脱すると考えました。


それで、お釈迦様は因縁(縁起)があるから、苦に満ちたこの世に輪廻転生してしまうので、縁を絶てば輪廻転生せず涅槃の境地へ到達する(解脱する)と考えたのです。
だから、縁が無くなるよう、煩悩を捨て、出家し、剃髪し、糞掃衣のみ着て、托鉢の鉢だけ所有するようにしたのです。
そんな訳で、死後の世界とかこの世の果てといった弟子からの問いについては、答えが見つかないと心残り(縁)になってしまうので、そのような問題は気にするなと言ったのです。

 

悟って最初に、かつての修行仲間である5人の比丘に対して語ったのは「正しく目覚めた者である」、「不死が得られた」、「私たちの解脱は不動である。これが最後の生まれである。もはや再生する事はない。」等、輪廻からの解脱に関する言葉ばかり・・・
おそらく、お釈迦様の「悟り」とはこの意味での解脱だったのではないか?と思っています。(5人の比丘も、同様に解脱するため修行していたと思われます)

しかし、縁を絶つために煩悩を捨てるといった点から、その後、弟子たちは「悟り」とは全ての事を理解したというような意味と捉えて、お釈迦様を神格化してしまったのでしょう。

だから、悟って宇宙とつながるとか真理を理解したくせに、死後の世界とかこの世の果てといった答えられない問いがあるのです。

 

さらに後年になると、在家信者による大乗仏教が登場すると、涅槃でなく浄土という概念が登場します。

これでは、お釈迦様が説いた修行による解脱とは意味が変わってきています。


そういえば、仏教は中国に伝来し儒教道教の影響を受けます。
本来、インドでは輪廻転生なので遺体は大事でないから灰を川にまいたりするのですが・・・お墓や霊廟など先祖崇拝になってしまします。
また、皇帝による保護を得るために国家鎮護的な性格も帯びてきます。

そんな感じで、輪廻転生とか解脱とは違った様相を帯びてきました。

 

朝鮮の王から日本の天皇へ経典と共に仏像が伝来した時は、天皇集権制のため国家鎮護的な要素が注目されます。
それまでの日本の神は、三種の神器とか、山、岩、大木のような物に宿っているとされ、いわゆる偶像崇拝禁止状態だったのですが、人型をした仏像という形の神が現れた事は衝撃でした。
この後、日本の神々も絵などで人間として表現されるようになりましたが・・・なんとなく、当時(飛鳥時代)の服装で表現されている事が多いような気がします。
また、外来の神を受容するかについて物部氏と曽我氏の争いから判るように、仏像を捨てたりしたら古来日本の神と同様に祟り(天変地異、疫病等)があるか?という見方も付け加わっています。

 

さらに時代が下ると、日本では阿弥陀信仰もあり、死んだら仏になるとされて・・・輪廻転生からの解脱から、全く異なる仏教になってしまいます。
要するに、現在の日本の仏教は、お釈迦様の説いたものではなく、色々な宗教や国々の事情等により変化したものです。
そのことを理解した上で、ご利益を願って仏像を拝んだりするのは、はたして意味があるのか?・・・信じるか信じないかはあなた次第(やりすぎ都市伝説風)・・・といった感じかな。