檀家制度と信教の自由

先日、誕生日だったのですけど、誰も誕生祝いなんてしてくれなかったですね。

もっとも、誕生祝して欲しいという事もないのですが・・・これも自業自得っていうか、今までの私の生き方の結果ですね。

 

それでも、ちょっと自分の生き方を振り返ってみて、なかなか良い部類だったのじゃないか?と思っています。

もちろん自分の努力の結果という訳ではなく、どちらかというと周囲に流されて生きて来たので、運が良く恵まれていたという事ですね。

 

そういえば、先日も書いたNHKの朝ドラ「おかえりモネ」では、主人公の百音が人の役に立つ生き方を探していてこれから気象予報士を目指すみたいですが・・・百音の幼馴染でお寺の息子の三生は、僧侶になるのに悩んでいる状況が描かれていました。

いっそ、百音が人の役にたつため三生の実家のお寺を継げば・・・「あま(尼)ちゃん」になるのになんて、くだらない事を思ってしまいました。

 

さきほど書いたように、私は将来何になろうか?なんて真剣に悩んだことが無いまま、周囲に流されてこの歳まで生きてきたので、こういう悩みについては良く判りません。

そもそも、私は色々な事に興味を持つくせに熱しやすく冷めやすい性格のため、人生をかけるような仕事なんて無理かもしれません。

もちろん、父親は公務員だったし高校生の時に亡くなったから職業を継ぐなんていう事は考えませんでした。

 

考えて見れば、お寺だと檀家との関係もあるし、継がないというのは重い決断になってしまうと思います。

同じ宗派の後継者を探すか廃寺にするという事になるのでしょうか?

 

そういえば、同じ仏教だけど他の宗派の方が良いと思っても、檀家の事を考えたら簡単に宗派を変えることもできないですね。

古いお寺だと、鎌倉時代に新たな宗派が起きた時などに創建当時の宗派から変わったという話も聞きますが・・・江戸時代になって檀家制度が確立してからだと、お寺の宗派が変わったという話はあまり無いみたいです。

 

そもそも、隠れキリシタン対策とか、年貢徴収なんかの目的で江戸幕府が檀家制度を進めたらしいので、今となっては檀家制度って意味が薄れているような気がします。

もちろん、檀家の方でも、先祖のお墓とかあるから他の宗派のお寺に変えるというのも難しいし、なんか信教の自由に抵触しそうです。

 

ちなみに、我が家は日蓮宗ですが、私は特に信者という訳ではありません。

以前も書きましたが、アニミズムを信じているし、仏教にも興味はありますが、それは中村元氏の原始仏教なんかです。

 

ちなみに、最古の仏典によると、お釈迦様は仏教を唱えた訳ではなく、どちらかというと当時信じられていたバラモン教宗教改革といった感じです。

真のバラモンとはこういう者だという事を何度も語っています。

 

例えば、「バラモンは木片を焼いて清浄になると事ができると思ってはいけない。なぜならこれは外面的なことであるから」なんて言っています。

バラモン教では、火の祭り行っていたのですが、こんなことを行うより精神修行をおこなえという意味です。

ちなみに、この火の祭りは、後に護摩を焚くという儀式になって日本に伝わってきています。

 

話が横道にそれてしまいましたが、現在の日本の仏教なんてお釈迦様の教えと大きく違っているので、そんなに信じる気になりません。

しかし、亡くなった両親は信じていたから、それでも良いかという感じで・・・これも、親の職業を継ぐという問題と同じかも・・・ただ流されている状況ですね。