自灯明、法灯明

以前も書きましたが、ヴィンテージギターを買うときには、相性を大事にしています。

例えば、楽器店で見かけてギターに呼ばれたような感じがして衝動買いしたとかです。

最近は、気楽に楽器店巡りもできないので、ネットオークションとかで購入する事もありますが、こちらも掲示されている写真とかを見て、ピンときたものが多いです。

実物を触るほどではないにしても、案外、ネット経由でもそのギターとの相性は判るもんです。

 

あらかじめ、雑誌とかの評価を参考にして、あのギターを買おうとか決めていたり、単に値段が安かったからというだけで決めたギターって、音が悪かったり結局、何故かハズレのものが多いです。

 

やはり他人の価値観で判断しないで、自分の価値観に合っていないとダメみたいですね。

実は、ギター以外の買い物でも、凄く安いからと思って買っても、自分に必要ないだったり・・・世間で流行っているからと買っても、結局使わなかったりすることが多いので、自分の価値観を大事にするようにしています。

もっとも、多くの人が良いというものには、それなりに理由があるので、試してみる価値はあると思っています。

 

最近、このような考え方って、仏教でいう「自灯明、法灯明」に近いのではないか?と考えるようになりました。

 

「自灯明、法灯明」って、お釈迦様が入滅するとき、身の回りの世話をしていた弟子が「お釈迦様がいなくなったら、これから、どうやって生きていけばよいのでしょう?」

と質問した答えだったそうで・・・その意味は、自らを道しるべにし、道理を道しるべにして生きろ、という事だそうです。

 

前回、お寺の住職が他の宗派の方が良いと思っても、檀家がいるせいで宗派を変えるのが難しいという話を書いたのですが、こんな場合でも、その住職は自分の価値感を重視すべきでしょう。

つまり、世間体を気にするとか他人に何を言われても関係なく・・・自分の価値観が、檀家がいなくなっても宗派替えをしたいのか、宗派替えよりも昔からの檀家との関係の方が重要だと思うのか、で判断すべきでしょう。