裸の仏教

ニュースによると国家安保戦略が閣議決定されたようで、戦後の安保政策の大転回を閣議決定だけで決めるなんて無茶苦茶だと思います。
敵基地攻撃能力を抑止力というのなら、核武装も同様に成り立つ前例となりそうです。

もし現実に使う事になったら、日本の国民が攻撃から守られればよいのでしょうか?先に敵基地を攻撃したら戦争回避になるのでしょうか?
どうも、岸田総理は被爆地広島出身のくせに、平和主義者では無いみたいですね。


なんでも、計画によるGDP2%という防衛費は、アメリカ、中国につぐ3番目の規模の軍事費になるとか。
国民の責任だとか言うのなら、増税等あちらこちらか費用をかきあつめないで「防衛税」の創設をすると言って、解散総選挙で国民の真意を問うべきだと思います。
なんとなく、言葉を変えて胡麻化しているような感じです。

 

言葉の胡麻化しといえば・・・話は変わりますが、神保町ブックフェスティバルで購入した「裸の仏教」(平野純著 芸術新聞社刊)を読みました。
まあ、仏教に対して色々な見方があるという程度の内容で・・・この本の見方に賛同という訳でもありません。
ちなみに、中村元氏の言うように、お釈迦様は宗教を説いたのでは無く修行の仕方を説いただけという見方に賛同しています。
お釈迦様の後継者達が、悟りを開いた人は特別だと神聖化して、仏教という宗教を作り上げたのでしょう。

 

で、「裸の仏教」のなかに「出家」という言葉は、ひっくり返すと「家出」となる・・・お釈迦様は、妻子を捨て、王子という地位を捨て家出した問題児である・・・最終的に悟りを開いたから良かったが、そうでなかったら、世間から批判される行動である・・・みたいな事が書かれていました。
私も、お釈迦様の「出家」という言葉は誤魔化しで、「家出」が実態だと同意します。


ちなみに、「裸の仏教」ではお釈迦様の事をブッダと呼んでいて「後にお釈迦様の名で親しまれる」と書いてありますが・・・仏陀とは悟りを開いた人の事で、シャカ族の王子だったのだからお釈迦様と呼ぶ方が良いと思っています。

余談ですが、「裸の仏教」では当時のインドはヒンドゥー教だったと書いてありますが・・・学説は色々あるようですが・・・個人的には、ヒンドゥー教とは現在のインドで信じられている仏教も内包した宗教の事(ヒンドゥー教では、お釈迦様はヴィシュヌ神の9番目の化身)で、お釈迦様が生きていた当時はヒンドゥー教の前身のバラモン教だと考えています。
で、お釈迦様は説法の中で「真のバラモンは」という言葉を時々つかっているので、基本的にはバラモン教を信じていたが、当時のバラモン教の宗教者は堕落していると考えていたように思います。

 

当時のインドは都市化が進み食糧生産が増え豊かになったため、家出をする人が多かったようです。
で、色々な宗教指導者がいて大勢の弟子をかかえていて、家出したお釈迦様も当初はその中の数名に師事したが、どれにも満足せず最終的には独りで修業しました。

ふと連想したのは、この家出ブームは60年代のヒッピーのコミューンのような形態だったのではないでしょうか。
(そういえば、ビートルズがインドで過ごした姿を描いた「ミーティング・ザ・ビートルズ・イン・インド」という映画が話題になってますね)
おそらく、戦後豊かになった60年代の若者と同様に、お釈迦様も理想に燃えて家出したのでしょう。
そう考えると、「裸の仏教」では批判的に描かれていましたが、お釈迦様の家出に親近感が沸きますね。

 

いまとなっては、60年代の家出した若者にもミュージシャンや作家として成功した者や過激派なんかになった人もいますが、多くは理想に敗れ平凡な暮らしを送っています。
また、出家というと、オウム真理教のような事件も連想します・・・私の知り合いにも、当時出家してオウム真理教に入信した人がいて、今でも行方不明です。
そういえば、旧統一教会の問題も、財産面での被害者救済に目がいっていますが、入信した人の今後の生き方はどうなってしまうのか?心配ですね。