迎え火

昨日は、ネットオークションで落札した仁王像について書きました。
なんとなく、夏目漱石の「夢十夜」のように、もともと木の中にいた仁王様が掘り出されたような感じがします。

そういえば、東京などは新盆なので、今日からお盆ですね。
なんでも、仏教が中国に伝わった時に、サンスクリット語のウランバナを盂蘭盆会と漢訳したのが元で、日本では、省略してお盆と言う様になったとか・・・そして、祖先の霊を供養する施餓鬼会を行うようになったそうです。

本来の仏教は輪廻転生なのですが・・・日本の仏教では死んだら仏になるので、先祖の霊を供養するお盆は重要な行事となっています。

今日は、そのお盆の入りなので、先ほど先祖の霊を迎え入れる迎え火を焚きました。

昨年までは、母と一緒に迎え火を焚いていたのですが・・・母が特別養護老人ホームに入ってしまったので、ちょっと寂しい感じです。
そういえば、母は健康になるといって、迎え火をまたいでいたのですが・・・効果はなかったみたいですね。

そもそも、迎え火をまたぐという風習は、何が根拠なのでしょうか?
というか、前述のようにお盆自体が日本独自に進化した行事なので・・・迎え火も、何か根拠がある風習なのか判りません。
そういえば、浄土真宗では、故人は極楽浄土に往生していると考えるため、迎え火は焚かないとか・・・。

毎年、玄関のところで、迎え火を焚いているのですが・・・先日完成した隣のアパートに住人が入るようになったら・・・ちょっと目障りになってしまうのではないか?なんて思ってしまいました。
あまり、根拠のない風習なのだったら、来年からはやらなくてもいいかな?なんて思っています。