バーニー・ケッセル・モデル

アメリカがイラクとシリアにある親イラン武装組織拠点へ報復爆撃したというニュースがありました。

大統領選挙があるから、バイデン大統領も弱腰と言われないように反撃するのは想定できましたが、エスカレートしなければ良いですね。

 

さて、以前ダブルカッタウェイのフルアコについて書いたとき、ギブソンES150DCのように、ネック強度を上げるためネックブロックがフロントピックアップキャビティまでカバーしていると、フロントピックアップ周辺はソリッドギターと同じなので、フルアコ特有な豊かなフロントピックアップの音にならない事を述べました。

 

でも、ギブソンバーニー・ケッセル・モデルはフロントピックアップ周辺は空洞なので、ちゃんとフルアコの音がします。

 

実は、バーニー・ケッセル・モデルは1965年頃にモデルチェンジされ、スプルース・トップからラミネイト・メイプル・トップに変更されるとともに、ネックのジョイント位置も14フレットから17フレットに変更されています。

やはり14フレット・ネックジョイントだと、ボディ厚もあるため弾きづらく、シングル・カッタウェイと大して変わりません。

反対に、14フレット・ジョイントの方がトップがスプルースなので音が良いです。

(もちろん、ジョニー・スミス・モデルのようなフローティング・ピックアップの方が、さらに音が良いです)

という訳で、14フレット・ジョイントで音を選ぶか?17フレット・ジョイントで弾きやすさを選ぶか?悩むところです。

 

ギブソン バーニー・ケッセル・レギュラー 1965年製

ギブソン バーニー・ケッセル・カスタム 1964年製

ちなみに、バーニー・ケッセルのレギュラーとカスタムだと装飾の違いだけでなく、ネック材がマホガニーかメイプルの違いがあるので音も違います。

という訳で、ヴィンテージのバーニー・ケッセル・モデルは、ネックジョイントが14フレットか、17フレットか、ネック材がメイプルか、マホガニーか、で選択する事になります。

 

1960年代後半のバーニー・ケッセル・モデル・レギュラーは、ギブソンフルアコの中では意外と安く取引されているので、コストパフォーマンスではネック材がマホガニーで17フレット・ジョイントが一番良いです。

 

ギブソン ジョニー・スミス・モデル 1963年製

もちろん、ヴィンテージのジョニー・スミス・モデルは音は良いけど高価です。

解脱

少し前に、そもそも仏教は偶像崇拝禁止だったが、後年ギリシャ文化の影響を受けてガンダーラ等で仏像が作られるようになった事を書きました。
お釈迦様は山にこもって修行していた時などを除き剃髪していたのですが、仏像の髪型は螺髪になっています。
実は、螺髪バラモン教の知恵を表すバラモン(宗教者)の髪型でした。

何故、仏像に螺髪が表現されるようになったのか?不明です。

 

そういえば、中村元博士によると、お釈迦様は宗教を説いたのではなく、バラモン教における修行の仕方を説いただけだったようです。

だから、初期の経典では、お釈迦様が「真のバラモンとは~」というような事を述べているのです。

 

輪廻転生という概念は昔からインドにあった事は知っていたのですが・・・最近読んだ本によると解脱という概念も昔からあったそうで、それは輪廻転生の輪から逃れる事を意味していたそうです。
で、お釈迦様登場以前のバラモン教でも解脱する事が理想だったのですが、それは祭祀によって解脱するとされていたそうです。
一方、バラモン教の腐敗を批判して登場したお釈迦様のような宗教者(沙門)は、生まれながらのバラモン階級に関係なく、誰でも修行によって解脱すると考えました。


それで、お釈迦様は因縁(縁起)があるから、苦に満ちたこの世に輪廻転生してしまうので、縁を絶てば輪廻転生せず涅槃の境地へ到達する(解脱する)と考えたのです。
だから、縁が無くなるよう、煩悩を捨て、出家し、剃髪し、糞掃衣のみ着て、托鉢の鉢だけ所有するようにしたのです。
そんな訳で、死後の世界とかこの世の果てといった弟子からの問いについては、答えが見つかないと心残り(縁)になってしまうので、そのような問題は気にするなと言ったのです。

 

悟って最初に、かつての修行仲間である5人の比丘に対して語ったのは「正しく目覚めた者である」、「不死が得られた」、「私たちの解脱は不動である。これが最後の生まれである。もはや再生する事はない。」等、輪廻からの解脱に関する言葉ばかり・・・
おそらく、お釈迦様の「悟り」とはこの意味での解脱だったのではないか?と思っています。(5人の比丘も、同様に解脱するため修行していたと思われます)

しかし、縁を絶つために煩悩を捨てるといった点から、その後、弟子たちは「悟り」とは全ての事を理解したというような意味と捉えて、お釈迦様を神格化してしまったのでしょう。

だから、悟って宇宙とつながるとか真理を理解したくせに、死後の世界とかこの世の果てといった答えられない問いがあるのです。

 

さらに後年になると、在家信者による大乗仏教が登場すると、涅槃でなく浄土という概念が登場します。

これでは、お釈迦様が説いた修行による解脱とは意味が変わってきています。


そういえば、仏教は中国に伝来し儒教道教の影響を受けます。
本来、インドでは輪廻転生なので遺体は大事でないから灰を川にまいたりするのですが・・・お墓や霊廟など先祖崇拝になってしまします。
また、皇帝による保護を得るために国家鎮護的な性格も帯びてきます。

そんな感じで、輪廻転生とか解脱とは違った様相を帯びてきました。

 

朝鮮の王から日本の天皇へ経典と共に仏像が伝来した時は、天皇集権制のため国家鎮護的な要素が注目されます。
それまでの日本の神は、三種の神器とか、山、岩、大木のような物に宿っているとされ、いわゆる偶像崇拝禁止状態だったのですが、人型をした仏像という形の神が現れた事は衝撃でした。
この後、日本の神々も絵などで人間として表現されるようになりましたが・・・なんとなく、当時(飛鳥時代)の服装で表現されている事が多いような気がします。
また、外来の神を受容するかについて物部氏と曽我氏の争いから判るように、仏像を捨てたりしたら古来日本の神と同様に祟り(天変地異、疫病等)があるか?という見方も付け加わっています。

 

さらに時代が下ると、日本では阿弥陀信仰もあり、死んだら仏になるとされて・・・輪廻転生からの解脱から、全く異なる仏教になってしまいます。
要するに、現在の日本の仏教は、お釈迦様の説いたものではなく、色々な宗教や国々の事情等により変化したものです。
そのことを理解した上で、ご利益を願って仏像を拝んだりするのは、はたして意味があるのか?・・・信じるか信じないかはあなた次第(やりすぎ都市伝説風)・・・といった感じかな。

影響を受けたギター・レコード

ニュースによると、イランとパキスタンの外相が会談し緊張緩和で一致したそうです。

前回は、戦火が飛び火して大規模な戦争になることを心配していましたが、とりあえず良い方向です。

 

さて、今月号のギターマガジンは「偉大なギター名盤100」という特集でした。

歳のせいか、知らないアルバムや意外な結果に驚きました。

 

私の場合はどんな感じか・・・というと、当然影響を受けたアルバムはCDでなくレコードの時代なので、LPの棚を調べてみました。

(一応、帯が残っているレコードを紹介・・・今となっては貴重?)

 

一番影響を受けたのは、やっぱり「いとしのレイラ」・・・ギターマガジンでは19位なので、ちょっと意外です。

コピーしたら判るクラプトンの偉大さ・・・同じように弾いても全然違う、チョーキングやヴィブラートの仕方、ちょっとした間の取り方・・・派手なテクニックよりギターを歌わせる事の難しさを知りました。

「いとしのレイラ」デレク・アンド・ドミノス

ギター・マガジンで「アー・ユー・エクスペリエンス」が1位になったジミヘンだと、個人的にはデイヴ・メイソンやスティヴィー・ウィンウッドが参加した「エレクトリック・レディランド」の方かな。

「エレクトリック・レディランド」ジミ・ヘンドリックス

もちろん、私たちの時代だとツェッペリンの全盛時代、皆「天国への階段」を弾きました。

レッド・ツェッペリンⅣ」

ツェッペリンと人気を二分していたのがディープ・パープル、コピーしたバンドも多かったのに・・・ギター・マガジンでは「マシン・ヘッド」が83位と低評価です。

「ディープ・パープル イン・ロック」

少し後にジェフ・ベックは「ギター殺人者の凱旋」でフュージョンの扉を開いて注目を浴びました。続いてヤン・ハマーと共演し、よりジャズに近づいたのが「ワイヤード」

「ワイヤード」ジェフ・ベック

ベックの「悲しみの恋人」で、初めて存在を知った超絶ギタリストがロイ・ブキャナン

「メシアが再び」ロイ・ブキャナン

フュージョン・ブームでジャズ畑の凄腕ギタリストが有名になりましたが、ラリー・カールトンと人気を二分したのがリー・リトナー、何故かギターマガジンではランク外。

キャプテンズ・ジャーニー」リー・リトナー

そういえば、ラリー・カールトンリー・リトナーに続くスタジオ・ミュージシャンだったスティーヴ・ルカサー・・・何故かTOTOもギター・マガジンではランク外。

TOTOデビュー 宇宙の騎士」TOTO

フュージョン・ブームに少し遅れて知ったのがパット・メセニー・・・バカテクだけでなく音楽性の素晴らしさも知りました。

アメリカン・ガレージ」パット・メセニー

忘れていけないのがボストン・・・皆あのサウンドに憧れ、ROCKMANが売れました。

「ドント・ルックバック 新惑星着陸」ボストン

いや~、懐かしい・・・今よりギター・ミュージックが熱かったような気がします。

当時は冷戦時代で、危機感が若者意識に影響があったのかも・・・といっても、やはり争いは起きて欲しくないですね。

さすが、TJトンプソン

ニュースによると、今日もアメリカ軍がイエメンのフーシ派の拠点を攻撃したそうです。そういえば、イスラエルによるレバノンヒズボラの司令官殺害なんて話もありました。そんなフーシ派やヒズボラ、そしてハマスのようなイスラム武装組織の後ろ盾となっているイランは米の石油タンカーを拿捕したというニュースもありました。

こんな感じで飛び火していくと、大規模な戦争になってしまう危険性がありますね。

 

能登半島地震の死者が200人を超えたのに対し、ガザの死者は2万人以上の100倍に上っているし・・・前回、自然要因と人的要因について書きましたが、自然要因は避けられないけど、人的要因の戦争は避けて欲しいと思っています。

 

さて、昨年末に、有名なヴィンテージのマーチンに関するリペア・マンのTJトンプソンについて書きました。
TJトンプソンが制作したショーンバーグとマーチンのコラボにおけるレプリカはOM-45(DLX)4本、000-30が5本、OM-28が6本、そしてマーチン社ディック・ボークによるオーダーの000-42が1本の合計16本だけでした。

 

この中の000-42(1993年製)について、「アコースティック・ギター・ブック24」にオーダーしたディック・ボークのインタヴューが載っていました。
なんでも、ディック・ボークは毎年カスタムショップにギターをオーダーしていたのですが、12フレットジョイント、スロテッド・テーパー・ヘッドの000が欲しかったのですが、昔のジグが無い等でカスタムショップでは製造不可能だったそうです。
諦めていたら、ちょうどマーチン工場にいたショーンバーグとTJトンプソンがヴィンテージ・マーチンのレプリカを作っている事を知り、相談したらTJトンプソンが作れると言ったので、秘蔵していたハカランダ材を提供して作ってもらったそうです。


さらに、TJトンプソンは、バーフレットの採用、アディロンダックのトップ、ヘッドに昔00-45プロトタイプに使われていたオルタネート・トーチ・インレイを施したそうで・・・その素晴らしい出来栄えによりディック・ボークのお気に入りの1本となったそうです。(このオルタネート・トーチ・インレイはエリック・クラプトンも気に入り、後に黒いクラプトン・シグネイチャー・モデルに採用されました)


なお、その000-42をリペア部門のレスター・ワグナーに見せびらかしたら「ジミー・ロジャースのギターに似ている」と言ったので、ジミーロジャースのシグネイチャー・モデル(最初のゴールデン・エラ・シリーズ)の開発の元になったそうです。

 

さて、ここからは私事なのですが・・・ギターが増えすぎたので、使っていない楽器を整理しようと思い、御茶ノ水の楽器屋さんに出張買取を申し込みました。
で、我が家に買取りに来る前の日、何気に、その楽器屋さんのHPをみていたら、中古のショーンバーグ・マーチンのOM-45DLXが売りに出ているのを見つけました。
何故か気になって調べたらTJトンプソン期の1993年製だという事が判明(ダナ・ボジョア期の1989、1990年頃にもOM-45DLXを試作している)・・・そう4本作られた内の1本です。


高価だったのであれこれ悩みましたが・・・思ったより査定額が高かったこともあり、買取りでなく下取りに変更して入手しちゃいました。
(高価といっても、もちろん87,500ドルなんてしませんし、2010年頃のTJトンプソン製OM-45DLXオーダー価格35,000ドルよりも安価)
サイド&バックは柾目のハカランダ、ヴィンテージを再現したネックシェイプは独特、ヴィンテージ同様の彫刻入りのバンジョー・ペグは少々扱いづらいです。
さすがTJトンプソンという感じでサウンドは抜群、愛用の1977年製SOM-45や1969年製SOM-28よりも良いです。
以前、1999年製のマーチンOM-42が今一つだったという事を書きましたが・・・このOM-45DLXの素晴らしさに比べたら月とスッポンです。

 

人間は戦争なんて愚かな事をして市街を瓦礫の山にもするけど、こんな素晴らしい物を作り出す事もするのですね。

ショーンバーグ OM-45DLX 1993年製


ダナ・ボジョア期には、ネックブロックにマーチン製造の金属プレートが取り付けられ、ボディ内にラベルも貼られていたのですが、TJトンプソン期はオールド・マーチン同様の焼き印に改められました。
(そこまでヴィンテージの再現こだわっているとは・・・大してサウンドに影響は無い気もしますけど)

 

ネックブロックの焼き印

 

バックストリップの焼き印

 

自然要因と人的要因

新年早々、能登半島地震や羽田飛行機事故が起こって、おめでたい気分ではありません、被害にあわれた方に同情しています。

自然災害は避けられないので、起きてしまった時の対応を考慮すべきですが、事故は原因を追究して再発防止をするべきと考えます。

特に、今回の羽田の事故はヒューマンエラー的な要素があるような気がします。

 

そういえば、今回の地震の時に、NHKのアナウンサーが津波注意に絶叫していた事について、賛否があるようです。

ふと、東日本大震災の時に、友人が語っていた事を思い出しました。

友人がやっと家に繋がった電話で、妻に「早く避難しろ、テレビを視ていないのか、津波が迫っているんだぞ」と言ったら、停電でテレビは点かないと言われたそうです。

そもそも情報手段としてテレビには限界がある事も考慮しておいた方が良さそうですね。

 

さて、羽田の事故については、ニュースで伝えられる情報では、何故発生したのか不思議ですね。

海保機がナンバーワンという管制塔の指示を離陸の一番目ではなく、滑走路を使う一番目と勘違いしたという説が有力で・・・救助物資を迅速に運ぶという切迫感によるハリーアップ症候群と言われていますが・・・海保機は乗員全員がヘッドセットで通信を聞いていたというので、6人全員がハリーアップ症候群だったとは考えづらいです。

機長がいきなり後部が爆発したと語っていた事から、全員が離陸すると思っていたから、後方に着陸機が近づいている事に気づかなかったような気がします。(事前に気づいたら騒ぐはずです)

 

ナンバーワンという言葉の他に、ちょっと交信記録で疑問に思ったのが、着陸する日航機に対して、管制官が「出発機があります」と言っている点です。

通常、出発機が待機している時に言うのかもしれませんが・・・今回、ナンバーツーやナンバースリーも違う待機場所に居たように、混雑する空港でいちいち待機場所に出発機がある場合に言うのでしょうか?

 

それに、過去に新米パイロットが待機場所でなく滑走路に入ってしまう事が時々あったというのに・・・出発機があると言われたくせに、日航機のパイロットが滑走路の状況を注意していなくて、海保機に気づかなかったというのも不思議です。

さらに、今日になって、許可が出てない航空機が滑走路に入ったら注意を促すモニターがあるのに、管制官が見落としていたという話も。

要するに、何人もの人のミスが重なって、今回の事故が発生したように思われるのですが・・・何故か、海保機の機長の経歴などが詳細に報道されるだけで、管制官日航機のパイロットについては報道されないのも不思議です。

 

さて、新年早々に大変な事が起きたので、今年はどうなってしまうのか?なんて心配する人もいますが・・・そもそも元旦というのは自然由来の冬至と異なり人間が決めただけの日で、大した意味はありません。

初詣とか年神様が家に来るとか言っていますが・・・江戸時代は旧暦だったので新暦とは異なった日が元旦で祝っていました。

ちなみに、旧暦から新暦に替わった明治5年は12月2日までで、翌日が12月3日でなく明治6年の元旦でした。

そんな訳で、今年はどうなるか・・・台湾、ロシア、アメリカ等の選挙のように、人間が決めた日程での変化は起こるでしょうけど・・・ヒューマンエラーや自然災害は年に関係ないですね。

 

エリック・ショーンバーグとTJトンプソン

前回は、エリック・ショーンバーグがマーチンにオーダーしたSOM-28やSOM-45のような、OMサイズが好みだという事を書きました。
実は、エリック・クラプトンも000サイズよりOMサイズの方が好みだそうで・・・もちろんクラプトンの事だからオールドのOM-45(40本しか作られなかった)を秘蔵しているらしいです。

 

なんでも、マーチンの工場にはクラプトンの“If I could choose what to come back as, it would be a Martin OM-45″(私が戻るべきところを選べるならマーチンOM-45)という言葉が掲げてあるそうです。
でも、クラプトンのオリジナルOM-45を修理したのはマーチン工場ではなく、ヴィンテージ・マーチンのリペアでは右に出る人がいないと言われているTJトンプソン氏だそうです。
クラプトンがTJトンプソンに直接依頼したのか不明ですが・・・マーチンに修理を依頼した場合、難しい作業等だとTJトンプソンを紹介される事があるそうです。

 

日本ではあまり知られていませんが、そのTJトンプソンはリペア業の合間に年間数本のギターを制作していて、これがまたヴィンテージ・マーチンの完璧なレプリカだそうな・・・
当然、市場に出てくる事はほぼ無く・・・昨年、珍しくDream Guitarsで2007年製OM-45が87,550ドル(1ドル140円だと12,257,000円)で売りに出されました。
海外のフォーラムでは「それだけ払うならオリジナルのOM-28を買う」とか「楽器屋のぼったくりだ」という声が上がっていました。
(2010年頃のオーダー価格は、18が22,000ドル、28が25,000ドル、42が30,000ドル、45が33,000ドル、45DLXが35,000ドルでした)
そんな声をよそに、オーダーしても完成するのは10年以上先という事もあり、すぐに売れてしまいました。

 

実は、このTJトンプソンもエリック・ショーンバーグと関係があり、そのお陰で有名になったそうです。
元々TJトンプソンはダナ・ボジョアの最初の弟子で、その後Elderly Instrumentsのリペア部門の責任者となり、数多くのヴィンテージの修理を行った事により豊富な知識を身に着けたそうです。

一方、元師匠のダナ・ボジョアがエリック・ショーンバーグと共に、1986年にマーチンとコラボしてソロイスト(カッタウェイ付きOM)の製造を行うようになり、ヴィンテージの知識を買われたTJトンプソンもピラミッド・ブリッジの製造などを手伝います。

 

ダナ・ボジョアは1990年にポール・リード・スミスのアコースティック・ギター計画に参加するためにソロイスト・プロジェクトから離れてしまい、代わりに1991年からはTJトンプソンが後任となります。
ダナ・ボジョアの時代は木材のキットを製造し、マーチン工場が組み立てていましたが、TJトンプソンはヴィンテージの知識を活かすため主要工程(ネックシェイピング、トップへのブレイシング接着、ブレイシングのシェーピング等)を自ら行う形に改め、接着にニカワを採用しました。(その後、トップにアディロンダックの採用もしました)


ショーンバーグはTJトンプソンのヴィンテージ・マーチンに関する豊富な知識を認め、1992年からヴィンテージ・マーチンのレプリカを計画します。
しかし、1994年にはショーンバーグとマーチンのコラボは解消となり・・・その間に出来たソロイスト以外のレプリカはOM-45(DLX)4本、000-30が5本、OM-28が6本、そしてマーチン社ディック・ボークによるオーダーの000-42が1本の合計16本だけでした。

 

マーチンとのコラボ解消により、ショーンバーグはカリフォルニアへ引っ越し、別のルシアーを使ってショーンバーグ・ギターを製造するようになり、TJトンプソンはリペア業者として独立しました。
しかし、TJトンプソンのこれまでの仕事を知ったお客からヴィンテージ・レプリカの製造をオーダーされるようになったようです。
TJトンプソン自身は、広告はもとより看板も出してないのにリペアとレプリカのバックオーダーで大忙しだとか・・・

マーチンOM-42

ニュースで、書道をユネスコ無形文化遺産に提案すると言っているのを聞いて、やめておけば良いのに・・・と思ってしまいました。

やはり、中国の日本産水産物の輸入規制なんかの関係でしょうか?

もちろん、書道関係者の要望もあるのだろうけど・・・ちなみに、「中国書法」は2009年に無形文化遺産に登録されています。

中国発祥の物で、画期的に日本で進化したという訳でもなさそうなので・・・今更、似ているものを登録するべきなのでしょうか?

 

さて、以前1969年にSOM-28として復活したマーチンOM-28と、1977年にSOM-45として復活したOM-45について書きました。

個人的に000サイズよりOMサイズの方が好みで、SOM-28もSOM-45も気に入っています。

でも、SOM-28は6本しか製造されていないし、SOM-45も56本しか製造されていない貴重品です。

 

そんなこともあり・・・マーチンのスタンダードOMモデルラインナップのトップOM-42(1999年製)が売られているのをネットで見つけて、普段弾き用に購入しました。

ちなみに、1999年はOM-42が復活した年で、それ以前はオリジナルが1930年に2本だけ製造されています。

(OM-42の再生産開始1999年の製造本数は121本なので、こちらも、ある意味貴重とも言えますが・・・)

 

で、届いたOM-42を弾いてみたら・・・こんなものか、という印象です。

確かに40系の鈴なり感はあるのですけど・・・SOM-28やSOM-45と比べると音の輪郭がはっきりせず、音も小さいです。

さらに、OM-42は豪華仕様なのですが・・・着色されたトップやラミネートアバロン等、微妙にチープな感じ・・・

 

他のメーカーと違って、マーチンは品質管理が行き届いていると思っていましたが・・・やはり、良質の木材の入手問題もあり品質の低下があるようです。

特に、アンプラグド・ブーム以降の製造本数増大も影響しているのかもしれません。

 

マーチン OM-42 1999年製

 

マーチン SOM-45 1977年製 SOM-28 1969年製