ミケランジェロの芸術

今日のNHK日曜美術館は「ミケランジェロ”人間”のすべてを彫る」というタイトルで、ミケランジェロに焦点を当てていました。
これは、国立西洋美術館で開催されている「ミケランジェロと理想の身体」展と関連した内容のようです。

もっとも、番組と異なり、この展覧会・・・目玉となるミケランジェロの作品は「ダヴィデ=アポロ」と「若き洗礼者ヨハネ」だけ。
さらに、「若き洗礼者ヨハネ、」はスペイン内戦で破壊された石片(全体の40%)から復元されたもので・・・なんか、フランケンシュタインのような継ぎ接ぎが痛々しい感じです。

という訳で、ミケランジェロの芸術を期待して展覧会を観に行くと期待外れになるので、注意が必要です。
ミケランジェロ自身の肖像画や胸像は展示されていますが・・・この展覧会のテーマは、あくまでも理想の身体表現なのです。

さて、番組で紹介されたように、ギリシャ神話ラオコーン像の発掘に立ち会った事が、ミケランジェロの芸術に大きな影響を与えました。
ちなみに、展覧会では、ルネッサンス期に再現されたラオコーン像が展示されています。

そもそも、ギリシャ文明は都市国家で、その争いから、スパルタのように優秀な戦士の育成などが重要性を持っていました。
その結果、鍛えられた肉体というものが崇められるようになり、オリンピックも開催されるようになります。
ちなみに、当時のオリンピックは全裸で競技したとか・・・そして、ギリシャ神話の神々も、理想的な身体で彫刻されるようになったのです。

この影響を受けたミケランジェロの初期の作品、例えばピエタ像のマリアはキリストと同い年ぐらいの若い姿で、理想の身体をしていますが・・・歳をとった作品では、ロンダニーニのピエタに見られるように理想の身体でない姿を模索するようになります。
そういった意味では、初期のダビデ像に比べて、今回の展覧会に展示されている「ダヴィデ=アポロ」像は、理想の身体ではなくなっている時期の作品というのが、ちょっと皮肉かもしれません。

また、立体感の強さや膨らんでくる感じという事で番組で紹介された「目覚める囚われ人」という作品をみれば・・・ミケランジェロの「長きにわたる探求と試みの果てに死近くして芸術家は石の中に生きた像を見い出すことができる。高く新しい作品に達するのは人生も残り少なくなってからなのだ。」という言葉の意味が良く分かります

この言葉、木の中の仏を掘り出すという運慶の話を思い浮かべますが・・・もし、ミケランジェロが運慶の作品を観る機会があったら、どのように感じたのか?なんて、思ってしまいました。

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ミケランジェロと理想の身体」展 チラシ チケット 作品リスト