交信を傍受セヨ

今日は暖かくて、花粉症の私には、辛い季節が訪れたと感じられる陽気でした。
しかし、昭和11年の今日は、まるっきり違って、大雪でした。

そう、今日の東京は、マラソンの交通規制でしたが・・・昭和11年には、二・二六事件が起きて、戒厳令がしかれていました。

そんなわけで、昼間に放送されたNHKアーカイブスは「戒厳指令…交信を傍受セヨ 二・二六事件秘録」という1979年の番組を取り上げていました。

この番組は、NHKに持ち込まれた、二・二六事件を起こした青年将校などの電話の盗聴記録の録音盤から、当時の通話を再現した内容で・・・とても、興味深い物でした。

番組の冒頭で、二・二六事件を起こした青年将校が処刑された当時の陸軍刑務所が、渋谷のNHKの敷地の隣にあった事も何かの縁、といった事を話していました。

そういえば、二・二六事件で襲撃された首相官邸青年将校が立てこもった料亭幸楽、兵士が立てこもった山王ホテルなどの電話が収容されていたのが中央電話局・銀座分局だったそうで・・・東京マラソンのコース沿いというのも、皮肉な感じがします。

番組の中で、古いステップ・バイ・ステップの交換機が映っていましたが・・・何の説明もなかったので、今の人には何の装置なのか分からないのではないか?と思ってしまいました。
あの映像を見て二・二六事件の時は、交換手でなくて、既に交換機だったんだ、と思ったのですが・・・なんでも、関東大震災で電話網が壊滅したのを契機に交換機に入れ替えたそうで・・・これも、ちょっと皮肉な気がします。

ちなみに、番組の中では、元隊復帰を説得した上官が後に戦死したのに、説得された下士官は軍籍をはく奪され、戦後も生き残ったなんていう、皮肉的なエピソードも紹介していました。

そんな感じで、事件の起きた昭和11年、番組制作時の1979年、そして現在という、時代の変化が印象的だったのですが・・・
二・二六事件が起きた背景が、世界大恐慌によって、兵士たちの出身地は疲弊していたのに、富を蓄えている財閥もあり、貧富の格差が拡大し、不満が溜まったとか・・・
う~ん、今の世界も、このまま貧富が拡大して、歴史は繰り返すなんていう事にならないように願っています。