デイヴ・メイソン

先日、レオン・ラッセルの死去のことを書きました。
レオン・ラッセルの訃報を聞いて、ふと思い出したのが、デイヴ・メイソンの「アローン・トゥゲザー」というアルバムです。

60年代のブリティッシュ・ロックのミュージシャンがルーツを求めてアメリカへ渡ったときに、それを受け止めたのが、レオン・ラッセルに代表されるような南部のミュージシャンでした。
その結果、誕生したのが、エリック・クラプトンの代表曲「愛しのレイラ」であり、そのバンドのデレク&ドミノスでしょう。

そもそも、アメリカ・ツアーの途中で空中分解してしまったブラインド・フェイスの前座を務めていたのが、レオン・ラッセルとも関係の深いデラニー&ボニー&フレンズでした。
クラプトンは、彼らのサウンドを気に入り、そのままバンドに参加します。
というか、フレンズという名前の通り、その都度、セッション的に色々なミュージシャンが参加するようなバンド形態だったようです。

この時期、発表されたのが「オンツアー・ウィズエリック・クラプトン」というアルバムですが・・・これは、イギリス・ツアーのライヴ・アルバムで、残念ながらレオン・ラッセルは参加していません。
そして、クラプトンはフレンズのメンバーを誘って、デレク&ドミノスを結成します。

今日とりあげる、デイヴ・メイソンは、クリーム同様に60年代のブリティッシュ・ロックを代表するバンドであるトラフィックのオリジナル・メンバーで・・・トラフィックを脱退してからアメリカに渡り、クラプトンより先にデラニー&ボニー&フレンズに参加しています。
もちろん、上記の「オンツアー・ウィズエリック・クラプトン」にも、クラプトンと並んでギタリストとして参加しています。

ちなみに、空中分解したブラインド・フェイスは、元トラフィックのスティヴィー・ウィンウッドとクラプトンが作ったバンドだったというのは、ちょっと皮肉な感じがします。

その後、デイヴ・メイソンはソロ・アルバム「アローン・トゥゲザー」という名盤を作りますが・・・このアルバムの演奏をしたのが、レオン・ラッセルやフレンズのメンバー達でした。

そういえば、デイヴ・メイソンは、アメリカに渡る前には、ジミ・ヘンドリックスと親交を深めて、トラフィックのメンバー達とジミの名盤「エレクトリック・レディランド」にも参加していますね。

こんな感じで、70年代には、クラプトンと似たタイプのギタリストという印象が強かったのですが・・・最近は、音沙汰がなくて、ちょっと寂しいですね。


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「アローン・トゥゲザー」デイブ・メイソン 日本コロンビア・レコード

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「オン・トゥア」デラニー&ボニー&エリック・クラプトン ワーナー・パイオニア