聖徳太子はいなかった?

ニュースで舛添都知事の政治資金問題について、「不適切だが、違法性は無い」という第三者の調査報告になったと言っていました。
確かに政治資金規正法違反には当たらないと思いますが、虚偽記載の疑いは濃いような気もします。

一方、URへの口利き等で問題となった甘利前大臣の方も、起訴見送りとなったタイミングで、何故か病気が治って政治活動を再開したそうです。
野党が、説明責任が果たされていないと追求するみたいですが・・・それよりも、TPPの交渉内容の不透明さが、この一件でうやむやになってしまっているので、そちらを追求してもらいたいですね。

もちろん、賄賂とか不正利用なんていう事も問題なのですが・・・個人的には、金銭問題なんかよりも、政治の方が社会に与える影響から、重要だと考えています。

政治家は、嘘なんかつかなくて、立派な人間でなくてはいけない、という風に考える人もいますが・・・私は、完璧な人間なんかいないと思っているので、政治能力が高ければ、ちょっとぐらい人間性に問題があっても良いのではないかと、思っています。

だから、細かなことまで取り上げる、最近のマスコミの在り方も、どうかなと思っています。
こんなのでは、品行方正の優等生タイプの人間しか、政治家にならないし・・・そういう人間には、だらしのない普通の人間の感覚が判らないような気がします。

そういえば、よく、庶民とは金銭感覚が違うなどと言いますが・・普通の人間だから、その地位になったら、金銭感覚がおかしくなるとも言えると思うのです。

大体、一芸に秀でた天才なんて、他の面では駄目な人間が多いのです。
歴史的に見てみても、偉人と言われるような人間は、現在の基準で視たらスキャンダルで失脚しそうな人間ばかりです。

日本の歴史だったら、人間的にも完璧な政治家といったら、聖徳太子ぐらいしかいないのではないか・・・なんて、思っていたのですが・・・最近は、聖徳太子は存在しなかった、なんていうのが常識になっているみたいです。
元になった厩戸王は存在したのですが、数々の功績とされるものは、天皇家の権威づけのために、後の時代になってでっち上げられたようです。

そんなわけで、完璧な政治家なんていうのは、虚構の中にしか存在しないのかもしれません。