イースター島

モアイ像で有名なイースター島の文明が何故崩壊したか?
先日、これまでの通説のような、住民同士による殺し合いは無かったというニュースがありました。

イースター島では、信仰のためにモアイ像を作るようになったのですが・・・やがて像の制作競争が過熱し、農業等の食料生産がおろそかになります。
さらに、像の運搬などに大量の木材が必要だったため、山の木をほとんど切り倒してしまいます。
そのため、元々そんなに大きな島でなかったので資源が不足して、やがて殺し合いが起こり文明が崩壊した・・・というのが通説で・・・人類の環境破壊に対する警鐘だと言われています。
ちなみに、私の愛読書である「緑の世界史」の冒頭にも、このエピソードが書かれています。

ナショナル・ジオグラフィックによると、これまで武器として使われたと考えられていた、大量に発見されたマタアと呼ばれる黒曜石で出来た小さな三角形の石器には、人を殺すだけの威力が無い事が判ったそうです。
また、発掘された469体の頭蓋骨にも、マタアと思われる傷があったのは2体だけだったそうです。

もっとも、毒矢のような使い方もあるので、これだけで殺し合いは無かったと言うのは、ちょっと疑問ですが・・・
なんでも、1722年にヨーロッパ人が初めて訪れた時には、島民は石を投げて威嚇していたという事実があるそうです。

そして、70トンのモアイ像を1,000体近く作るだけの技術力があったにしては、本格的な武器を作らなかったというのは、小さな島なので争いはお互いに無益だという事を理解していて、共同で生活する道を選んでいたと推測されるそうです。
だから、人類への警鐘というよりは、むしろ逆ではないか?ということです。

で、人口が減少したのは疫病などによるものではないか?という新たな説が上がっているようです。
なんにしても、石切り場に300体以上のモアイ像が残されていたというのは、急激な状況の変化があって、放棄せざるを得なかったのでしょう。

元々、住民は7,000人程度だったと考えられていますが、ヨーロッパ人が訪れた時には3,000人程度になって、1877年には老人と子供以外を奴隷として連れ去ったので、残されたのは110人だけだったそうです。
そもそも、大量殺戮があったというのは、住民の言い伝えによるのですが・・・・モアイ像は現在の場所へ自分で歩いて行ったなんていう言い伝えもあるので・・・僅かに残された老人と子供の子孫では、言い伝え自体が怪しいのも無理ないかもしれません、

もっとも、調査によって、以前は緑豊かな島だった事がはっきりしているのですが・・・ヨーロッパ人が訪れたときには大きな木は一本も無くて、家も作れない住民は洞窟で暮らしていたというので、大量殺戮は無かったにしても、住民が環境を破壊してしまったというのは事実のようです。

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「緑の世界史 上」 クライブ・ポンティング著 石弘之訳 アサヒ選書

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「緑の世界史 下」 クライブ・ポンティング著 石弘之訳 アサヒ選書