昨日は、仏教において、この世は苦に満ちていると言いますが、個人的には、むしろこの世は天国だと思っている、という事を書きました。
だから、悟りを開いて涅槃の境地に至るなんていうより、輪廻転生をする方が良いと思っています。

仏教でいう苦といえば、通常の苦しみだけでなく、思いのままにならない事をいうそうです。
そして、代表的なものでは、生・病・老・死なんかがあります。

でも、考えようによっては、思いのままにならないから、この世の中は面白いんだと思います。
なんでも思い通りになったら、それはそれで、つまらないのではないでしょうか?
思い通りにならないから、夢見たり、祈ったり、努力したりして、実現した時の喜びもあるのだと思います。

生まれて生きていく事は、苦ではありますが、楽な事もあります。
そして、山あり谷ありの人生の方が、何も起こらない人生よりは、良いと思っています。
もちろん、苦の連続の人生というのもあるとは思いますので、自分は、あまり苦労をしていないから、そんなことを言えるのかもしれません。

お釈迦さまの時代には、今よりも、生きていくことは辛い事が多かったと思いますが、大勢の人のお蔭で、世の中は住みやすくなったと思います。
そして、病・老・死についても、医学が発達して、病気に苦しむ人が減り、寿命も延びています。

こちらも、考えようによっては、もし不老不死だったら、なんでも後回しにしてだらだrと過ごしてしまい、面白みのない人生?を送る事になるのではないでしょうか?
病・老・死があるから、規則正しく清潔な生活を送り、夢に向かって努力するのだと思います。

なかでも一番の苦は死だと思うのですが・・・よく考えると、何故死が苦なのか?よく判りません。
ニュースとかを視ていると、こんな悲惨な状況でよく生き抜いているなぁ、と思う人がいる反面、些細なことで、あっけなく自らの命を絶ってしまう人もいます。
おそらく、人によって、死が苦だったり、苦でなかったりする度合いが違うようです。

自分の事を考えると、確かに、死に対する恐怖はあるのですが・・・何故、自分は死を怖がるのかよく判りません。
死後、どうなってしまうのかが分からないからかもしれません。
予め、死後、輪廻転生するとか、霊のまま漂うのか、極楽に行くとか判っていれば、そんなに怖くない気がします。
例えば、狂信的な宗教の信者が自爆攻撃とかできるのは、死後を信じているからなのでしょう。

理性的に考えると、死んだら魂も含めて何も無くなってしまう、という可能性が高い気がします。
だから、無意識に死に対して恐怖があるのではないでしょうか?

なにはともあれ、辛い時でも、自然を見ると、この世はなんて素晴らしいのだと思います。