言葉遊び

昨日は、中国の抗日戦争勝利70周年の軍事パレードについて書きました。
そういえば、国連の潘事務総長も軍事パレードを観覧しました。

「国連は中立でなければいけない」という菅官房長官の批判に対して、潘事務総長は「国連は中立でなく、公平な組織だ」と語ったそうです。
官房長官は「言葉遊びをしている」と言ったそうですが・・・
国際社会に反するような国などに対しては、国連は中立でなく反対する立場に立つべきなので、潘事務総長のように公平と言う方が正しいと思います。
もちろん、軍事パレードを観覧するのが公平だとは言うと、大いに疑問があるのですが・・・

そういえば、最高裁元長官が集団的自衛権憲法違反と語ったというニュースもありました。
その中で「「集団的自衛権の行使は憲法9条の下では許されないとする政府見解の下で、予算編成や立法がなされ、国民の大多数がそれを支持してきた」と述べいました。

そこで思い出したのが、言葉とは人間が作ったもので、それ自体には何の意味もないということです。
だから、同音異義語があり、同じ言葉でも国が異なれば意味が異なるのです。
(言霊ということを信じる人もいますが・・・)
大勢の人がそういう意味だと認識して使う事により、言葉に意味が備わるのです。
例えば、世間一般で使っていれば、緑色でも「青葉」とか「青信号」と言えば、相手に伝わるのです。

最高裁元長官の指摘のように、集団的自衛権は合憲だと解釈を変える事は、まさに言葉遊びをしているような気がします。
国民の多くが、集団的自衛権があると認識できるような言葉の憲法に改正するべきでしょう。

実は、集団的自衛権うんぬんよりも、世間一般とは認識が異なる、勝手な言葉の意味を主張する事がまかり通る前例となって、今後も同じようなパターンが続くことの方を危惧しています。

ちなみに、閣僚の方達は「最高裁元長官といっても、単なる私人の意見」と言っていますが、当然のことながら、現職の最高裁長官がそのような事を語ったら、三権分立に反してしまいます。
現職の最高裁長官が意見を語れるのは、法案が成立・施行されてから、不利益を受けた人が訴えた時になります。
もっとも、その時は手遅れなんて事がないとはいえませんが・・・

そういえば、政府が、砂川事件判決が、法案の合憲性の根拠になると主張していることも、言葉遊びのように思えますし、三権分立に反しているような気もします。