西サハラ

ロッコ西サハラに派遣されている国連平和維持活動(PKO)の撤収を要求したというニュースがありました。
なんでも、アルジェリア西サハラ難民キャンプを訪問した国連の潘事務総長が、モロッコによる占領という発言をしたことに対して、反発したものだそうです。

西サハラといえば、最後の植民地と言われていましたけど・・・最近は、話題に上がる事はあまりありませんね。
若い方では、知らない人がも多いと思うので、簡単に説明します。

私が子供の頃は、スペインのフランコ総統が未だ存命でした。
今になって思うと、フランコ総統は第二次世界大戦の前哨戦であるスペイン内乱で政権を握ったのですから、かなり長い間独裁政治を続けていたのですね。
ちなみに、スペイン内乱といえば、ピカソの「ゲルニカ」とか、ヘミングウェイの「誰が為に鐘は鳴る」や「武器よさらば」等の題材となったので有名ですね。

西サハラはスペイン領だったのですが、1973年頃、フランコ総統の健康が悪化したのを機に、ポリサリオ戦線による独立運動が盛んになります。
一方、スペイン政府は西サハラを放棄し隣国のモロッコとモーリタリアへ割譲する密約を結びます。

そこで、1975年にモロッコは、国際司法裁判所西サハラの領有について提訴したのですが・・・その思惑は外れて、住民による独立という判断が下されます。
そこで、モロッコは非武装のモロッコ人35万人による西サハラ進駐「グリーン・マーチ」を行い、密約通り、モーリタリアと分割支配してしまいます。
また、時を同じくして、スペインではフランコ総統が死去、正式に西サハラの領有権を放棄します。

そして、武力に劣るモーリタリアから領地を取り戻すのですが・・・武力に勝るモロッコがそのモーリタリアが放棄した土地も占領します。

現在、サハラ・アラブ民主共和国アフリカ統一機構に正式な国家として参加しており、これに不満を持つモロッコアフリカ統一機構から脱退しています。
一方、国連ではモロッコが参加しており、サハラ・アラブ民主共和国は参加が認められていません。
しかし、1991年に国連の仲介で、どちらの主権が認められるか住民投票を行うということで国連平和維持活動(PKO)と国連西サハラ住民投票監視団(MINURSO)が派遣されたのですが・・・現在もモロッコは住民の所在がはっきりしない等の理由で住民投票の実施を先延ばしにしています。

このため、アルジェリアにある西サハラの難民キャンプでは、避難生活が長期化し、故郷の西サハラを知らない孫の代になっているそうです。

最近では、シリアからの難民が話題になっていますが、西サハラも忘れてはいけない難民問題だと思います。

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我が家にあった古い地図では、未だスペイン領サハラとなっていました

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「世界各国地図」 世界原色百科事典別冊 小学館 (昭和43年12月10日発行)