魂が宿っているように感じるギター

昨日は、ヒストリック・コレクションについて書きました。
あくまでも、個人的な感覚ですが・・・カラマズー工場末期に作られたレギターでは、魂が宿っているように感じる物が多いのに対して、ヒストリック・コレクションでは、魂が宿っているように感じる物がほとんどありません。

で、ヒストリック・コレクションを作っている職人は、そのギターを愛していないのでは?なんて思うのです。
だから、魂が宿っているようなギターにならないのではないでしょうか?
これは、オールドの再現を追求しすぎたためかもしれません。

例えば、画家が絵の模写をするときは、その絵を愛しているでしょうか?
もちろん、オリジナルの絵をリスペクトして、完璧な再現を望むマニアックな画家もいるかもしれませんが・・・
大半の画家はオリジナルの絵の良い点を習得して、自身のオリジナルに反映するために模写をするのだと思います。

カラマズー工場の末期は、閉鎖が決まっていたので、職人の自由に作らせていたような面があります。
このため、ネック・バインディング付のフライングVのように、イレギュラーな物が多いのですが、おそらく作った職人はそのギターを愛していたのだと思います。

そして、この頃のレスポールの復刻版は、そんなにオールドに似ていないのですけど、それは細かな仕様なんかにとらわれず、オールドの良さを反映した独自のモデルを作ろうとしていたのではないでしょうか?
だから、作った職人はそのギターを愛していたと思うし、そのため、魂が宿っているように感じられるのかもしれません。

そういえば、楽器店で魂が宿っているように感じて購入したギターが、後から調べてみたらレアなモデルだったなんて事があるのも、レアな物はハンドメイド性が高いというだけでなく、作った職人がそのギターを愛していた可能性が高いですね。