ボブ・ディランとSJ-200

昔のニューポート・フォーク・フェスティバルのDVDを観たら、ちょっと驚きました。

実は、1965年にボブ・ディランが始めてエレキを弾いたパフォーマンスの映像が記録されているというので、興味があったのです。

 

なんでも、当日、別に出演予定だったポール・バタフィールド・ブルースバンドを急遽バック・バンドにしたそうです。

(フォーク・フェスティバルなのですが、フォークに限らず、ハウリング・ウルフ、サンハウスミシシッピ・ジョンハートといったブルース・ミュージシャンも登場しています)

ちなみに、気になるギターですが、ボブ・ディランは当時のストラトキャスター、マイク・ブルームフィールドも当時のテレキャスターを弾いています。

 

驚いたのは、その映像ではなくて・・・おそらくボブ・ディランが1964年に出演した時の映像で「オール・アイ・リアリー・ウォント・トゥ・ドゥ」を弾き語っているのですが・・・弾いているギターが僅か96本しか作られなかった戦前のギブソンSJ-200なのです。

しかも、ダブル・ピックガードというレアな仕様・・・後年名前が変更されたJ-200では無くなってしまうピックガードの縁に白いラインがあるので、おそらくオリジナルのダブル・ピックガードのようです。(ピックガードの花の位置も後年のJ-200とは異なる)

 

そういえば、一時期、ギブソンからダブル・ピックガードのボブ・ディラン・シグネィチャー・モデルSJ-200が売られていましたけど・・・縁に白いラインがないJ-200タイプのピックガードでした。

 

ボブ・ディランとJ-200といえば、アルバム「ナッシュビルスカイライン」のジャケットで当時(1960年代後半)のJ-200を抱えて笑っている写真が思い浮かびます。

あれが発表された時、反体制派だったボブ・ディランが豪華でブルジョア的なイメージがあるJ-200を使っているという事でショックを受けた人が多かったという話でしたが・・・もっと昔から超貴重(もちろん高価)なSJ-200を使っていたのですね。

 

「ニューポート・フォーク・フェスティバル フィーチャリング・ボブ・ディラン



ニューポート・フォーク・フェスティバルでのボブ・ディラン

ギブソンSJ-200 1940年製

さすがにダブル・ピックガードではありませんが・・・こちらもヘッド・インレイがクラウンでなくフラワーポットというレアな仕様です。

 

 

マチス展とキース・へリング展

前回、モネの「睡蓮」について書いた時、人気のある画家の展覧会はやけに度々開催されるなと思ったのですが・・・マティスの展覧会がまた開催されています。

調べてみたら、昨年5月に東京都立美術館で開催されたマティス展について書いていますので、1年経たないうちの開催ですね。

 

今回は、国立新美術館で「マティス 自由なフォルム」展・・・事前にチラシを見たら「切り絵」がメインのようだったので、昨年東京都立美術館でも観たし、どうしようかと思っていたら・・・ヴァンスのロザリオ礼拝堂を再現しているというので、興味を持って観に行ってきました。

 

で、東京都立美術館の時に、ロザリオ礼拝堂用に描かれた晩年のマティスの絵がキース・へリングに似ていると感じた事を思い出し・・・そういえば、キース・へリングの展覧会も同じ六本木でやっていたっけ・・・という事で、調べたら今週末が会期末ということなので、ついでに森アーツギャラリーの「キース・へリング アートをストリートへ」展も観に行ってきました。

 

マティス 自由なフォルム」展は切り絵以外にも絵画、彫刻も多く展示してあり・・・さらに、マティスのアトリエにあったモチーフや絵の具箱の机、さらにパレットなんかも展示してあり、見ごたえがありました。

もっとも、肝心のロザリオ礼拝堂の再現は、ちょっと子供だましのような感じがしました。期待が大きかったせいでしょうか?

 

さて、続いて「キース・へリング アートをストリートへ」展の方は、彼の絵が子供にも分かりやすいようで、子供連れが多かったです。

子供は喜んで見ていましたが・・・改めて彼の絵を観ると、意外とドギツイ内容が多いです。

基本は風刺画なので、暴力、殺人、武器、性器なんかが描かれていて、彼独特なポップでシンプルな表現なので、インパクトは薄いですけど・・・安穏に観るべき絵ではないですね。

 

今日は、ロシアのウクライナ侵攻からまる2年・・・彼が生きていたら、どんな絵を描いただろうか?なんて思ってしまいました。

 

マティス 自由なフォルム」展 チラシ、チケット、作品リスト

マティス 自由なフォルム」展 図録

 

キース・へリング」展 チラシ、作品リスト

キース・へリング」展 ポストカード・セット

図録が見当たらなかったので、ポストカード・セットを購入しました。

モネの睡蓮

前回、東京都美術館で開催されている「印象派」展を観に行った事を書きました。

この展覧会でもモネの「睡蓮」が展示されていました。

少し前まで上野の森美術館で開催されていた「モネ 連作の情景」展でも「睡蓮」が展示されていました。

ご存知のように「睡蓮」はモネの代表作で、何枚も同じ題材で描かれています。

 

印象派」展の会場に置かれていたチラシを手に取ってみたら、今年の秋に国立西洋美術館でも「モネ 睡蓮のとき」という展覧会が開催されるようです。

この展覧会では大画面に描かれた「睡蓮」が何枚も展示されるそうです。

やはり、モネの「睡蓮」は人気があるようです。

 

私は、モネにとって「睡蓮」や「睡蓮の池」という作品は画業のターニングポイントになった作品だと考えています。

それまでモネは「印象 日の出」や「積み藁」など、屋外でモチーフとなる風景を探し、それから受けた印象を描いていました。

しかし、睡蓮を描く時は、わざわざ川の水を庭に引き込み池を作って、太鼓橋を架け、日本から輸入した睡蓮を浮かべています。

つまり、先に頭の中にイメージがあり、それを描くための構図が得られる庭を作っているのです。

ちなみに、そのイメージとは、浮世絵の広重の「名所江戸百景 亀戸天神境内」等といわれています。

 

また、「睡蓮」以前の作品は手ごろな大きさのキャンパスに描かれているのですが、「睡蓮」以降の作品では、大きなキャンバスに描かれた物が目立ちます。

つまり、以前の作品は屋外で光の移り変わりを捉えて短時間で制作するため、大きなキャンバスが使えなかったのですが・・・「睡蓮」以降は既に頭の中にあるイメージを描くため、大きなキャンバスに描く事ができるようになったのです。

 

事実、晩年のオランジェリーの睡蓮が描かれた大装飾画は新たに巨大なアトリエを建てて屋内で制作しています。

制作時の様子を写した写真には、デッサンやスケッチ等は写っていなく、いきなり白いキャンバスに描いているようです。

 

もちろん、初期の睡蓮を描いた作品は、庭の池の前にイーゼルを立て睡蓮を見ながら描いたと思われますが・・・それでも、写生というよりはモネの頭にある理想の睡蓮のイメージを描いていたと考えれます。

だから、モネの「睡蓮」に特別な感動を受けるような気がします。

 

「モネ 睡蓮のとき」展 チラシ

 

「印象派」展とアートサロン絵画大賞展

今日は、東京都美術館の「印象派 モネからアメリカへ」展を観に行き、その後、国立新美術館へ「アートサロン絵画大賞展」を観に行きました。

 

印象派」展は、一応、モネの「睡蓮」とかもあったけど印象派の作品自体は少なく、影響を受けた日本やアメリカの画家の作品が多かったです。

印象派以前のコロー等のバルビゾン派の作品やセザンヌのような後期印象派もありました。

 

そもそも、写真や浮世絵の影響により、それまでの写実的な絵画と違った表現や構図となり、チューブ入り絵の具の登場により屋外での制作が可能となったのですが・・・陽の移り変わりにより見え方が変わるため短時間での制作、素早いタッチでチューブから出した絵の具を混色せず、そのまま使った筆触分割等が印象派の特徴なのですが・・・

いわゆる、光の移り変わりをとらえたような印象派特有の作品はほとんどありませんでした。

 

印象派に影響を与えたのが浮世絵なのに、日本の画家が印象派の作風を真似しているのは面白いですけど・・・真似だけで終わっているようで、ちょっと残念です。

アメリカの画家では、チャイルド・ハッサムの作品「コロンバス大通り、雨の日」と「朝食室、冬の朝、ニューヨーク」が良かったです。

あと、ジョン・シンガー・サージェントの「ゴルフ島のオレンジの木々」という作品、描き方や鮮やかな色使いが、後のホアキン・トレンツ・リャドを連想させました。

 

印象派」展 チラシ、作品リスト

印象派」展 図録

その後、私の作品が2点出展してあるので「アートサロン絵画大賞展」を観に行きました。

今回は抽象画にチャレンジして、元号の「令」と「和」のイメージを描いてみました。

応募した後、もし片方が選外になったら意味が分からなくなると心配したのですけど・・・無事、両方とも入選しました。

さらに、係の人も気を使ってくれたのか上下に並べて展示してくれたので良かったです。感謝

まあ、他の人の力作に混じってると、目立たない作品なので気づかない人が多いかな?

バーニー・ケッセル・モデル

アメリカがイラクとシリアにある親イラン武装組織拠点へ報復爆撃したというニュースがありました。

大統領選挙があるから、バイデン大統領も弱腰と言われないように反撃するのは想定できましたが、エスカレートしなければ良いですね。

 

さて、以前ダブルカッタウェイのフルアコについて書いたとき、ギブソンES150DCのように、ネック強度を上げるためネックブロックがフロントピックアップキャビティまでカバーしていると、フロントピックアップ周辺はソリッドギターと同じなので、フルアコ特有な豊かなフロントピックアップの音にならない事を述べました。

 

でも、ギブソンバーニー・ケッセル・モデルはフロントピックアップ周辺は空洞なので、ちゃんとフルアコの音がします。

 

実は、バーニー・ケッセル・モデルは1965年頃にモデルチェンジされ、スプルース・トップからラミネイト・メイプル・トップに変更されるとともに、ネックのジョイント位置も14フレットから17フレットに変更されています。

やはり14フレット・ネックジョイントだと、ボディ厚もあるため弾きづらく、シングル・カッタウェイと大して変わりません。

反対に、14フレット・ジョイントの方がトップがスプルースなので音が良いです。

(もちろん、ジョニー・スミス・モデルのようなフローティング・ピックアップの方が、さらに音が良いです)

という訳で、14フレット・ジョイントで音を選ぶか?17フレット・ジョイントで弾きやすさを選ぶか?悩むところです。

 

ギブソン バーニー・ケッセル・レギュラー 1965年製

ギブソン バーニー・ケッセル・カスタム 1964年製

ちなみに、バーニー・ケッセルのレギュラーとカスタムだと装飾の違いだけでなく、ネック材がマホガニーかメイプルの違いがあるので音も違います。

という訳で、ヴィンテージのバーニー・ケッセル・モデルは、ネックジョイントが14フレットか、17フレットか、ネック材がメイプルか、マホガニーか、で選択する事になります。

 

1960年代後半のバーニー・ケッセル・モデル・レギュラーは、ギブソンフルアコの中では意外と安く取引されているので、コストパフォーマンスではネック材がマホガニーで17フレット・ジョイントが一番良いです。

 

ギブソン ジョニー・スミス・モデル 1963年製

もちろん、ヴィンテージのジョニー・スミス・モデルは音は良いけど高価です。

解脱

少し前に、そもそも仏教は偶像崇拝禁止だったが、後年ギリシャ文化の影響を受けてガンダーラ等で仏像が作られるようになった事を書きました。
お釈迦様は山にこもって修行していた時などを除き剃髪していたのですが、仏像の髪型は螺髪になっています。
実は、螺髪バラモン教の知恵を表すバラモン(宗教者)の髪型でした。

何故、仏像に螺髪が表現されるようになったのか?不明です。

 

そういえば、中村元博士によると、お釈迦様は宗教を説いたのではなく、バラモン教における修行の仕方を説いただけだったようです。

だから、初期の経典では、お釈迦様が「真のバラモンとは~」というような事を述べているのです。

 

輪廻転生という概念は昔からインドにあった事は知っていたのですが・・・最近読んだ本によると解脱という概念も昔からあったそうで、それは輪廻転生の輪から逃れる事を意味していたそうです。
で、お釈迦様登場以前のバラモン教でも解脱する事が理想だったのですが、それは祭祀によって解脱するとされていたそうです。
一方、バラモン教の腐敗を批判して登場したお釈迦様のような宗教者(沙門)は、生まれながらのバラモン階級に関係なく、誰でも修行によって解脱すると考えました。


それで、お釈迦様は因縁(縁起)があるから、苦に満ちたこの世に輪廻転生してしまうので、縁を絶てば輪廻転生せず涅槃の境地へ到達する(解脱する)と考えたのです。
だから、縁が無くなるよう、煩悩を捨て、出家し、剃髪し、糞掃衣のみ着て、托鉢の鉢だけ所有するようにしたのです。
そんな訳で、死後の世界とかこの世の果てといった弟子からの問いについては、答えが見つかないと心残り(縁)になってしまうので、そのような問題は気にするなと言ったのです。

 

悟って最初に、かつての修行仲間である5人の比丘に対して語ったのは「正しく目覚めた者である」、「不死が得られた」、「私たちの解脱は不動である。これが最後の生まれである。もはや再生する事はない。」等、輪廻からの解脱に関する言葉ばかり・・・
おそらく、お釈迦様の「悟り」とはこの意味での解脱だったのではないか?と思っています。(5人の比丘も、同様に解脱するため修行していたと思われます)

しかし、縁を絶つために煩悩を捨てるといった点から、その後、弟子たちは「悟り」とは全ての事を理解したというような意味と捉えて、お釈迦様を神格化してしまったのでしょう。

だから、悟って宇宙とつながるとか真理を理解したくせに、死後の世界とかこの世の果てといった答えられない問いがあるのです。

 

さらに後年になると、在家信者による大乗仏教が登場すると、涅槃でなく浄土という概念が登場します。

これでは、お釈迦様が説いた修行による解脱とは意味が変わってきています。


そういえば、仏教は中国に伝来し儒教道教の影響を受けます。
本来、インドでは輪廻転生なので遺体は大事でないから灰を川にまいたりするのですが・・・お墓や霊廟など先祖崇拝になってしまします。
また、皇帝による保護を得るために国家鎮護的な性格も帯びてきます。

そんな感じで、輪廻転生とか解脱とは違った様相を帯びてきました。

 

朝鮮の王から日本の天皇へ経典と共に仏像が伝来した時は、天皇集権制のため国家鎮護的な要素が注目されます。
それまでの日本の神は、三種の神器とか、山、岩、大木のような物に宿っているとされ、いわゆる偶像崇拝禁止状態だったのですが、人型をした仏像という形の神が現れた事は衝撃でした。
この後、日本の神々も絵などで人間として表現されるようになりましたが・・・なんとなく、当時(飛鳥時代)の服装で表現されている事が多いような気がします。
また、外来の神を受容するかについて物部氏と曽我氏の争いから判るように、仏像を捨てたりしたら古来日本の神と同様に祟り(天変地異、疫病等)があるか?という見方も付け加わっています。

 

さらに時代が下ると、日本では阿弥陀信仰もあり、死んだら仏になるとされて・・・輪廻転生からの解脱から、全く異なる仏教になってしまいます。
要するに、現在の日本の仏教は、お釈迦様の説いたものではなく、色々な宗教や国々の事情等により変化したものです。
そのことを理解した上で、ご利益を願って仏像を拝んだりするのは、はたして意味があるのか?・・・信じるか信じないかはあなた次第(やりすぎ都市伝説風)・・・といった感じかな。

影響を受けたギター・レコード

ニュースによると、イランとパキスタンの外相が会談し緊張緩和で一致したそうです。

前回は、戦火が飛び火して大規模な戦争になることを心配していましたが、とりあえず良い方向です。

 

さて、今月号のギターマガジンは「偉大なギター名盤100」という特集でした。

歳のせいか、知らないアルバムや意外な結果に驚きました。

 

私の場合はどんな感じか・・・というと、当然影響を受けたアルバムはCDでなくレコードの時代なので、LPの棚を調べてみました。

(一応、帯が残っているレコードを紹介・・・今となっては貴重?)

 

一番影響を受けたのは、やっぱり「いとしのレイラ」・・・ギターマガジンでは19位なので、ちょっと意外です。

コピーしたら判るクラプトンの偉大さ・・・同じように弾いても全然違う、チョーキングやヴィブラートの仕方、ちょっとした間の取り方・・・派手なテクニックよりギターを歌わせる事の難しさを知りました。

「いとしのレイラ」デレク・アンド・ドミノス

ギター・マガジンで「アー・ユー・エクスペリエンス」が1位になったジミヘンだと、個人的にはデイヴ・メイソンやスティヴィー・ウィンウッドが参加した「エレクトリック・レディランド」の方かな。

「エレクトリック・レディランド」ジミ・ヘンドリックス

もちろん、私たちの時代だとツェッペリンの全盛時代、皆「天国への階段」を弾きました。

レッド・ツェッペリンⅣ」

ツェッペリンと人気を二分していたのがディープ・パープル、コピーしたバンドも多かったのに・・・ギター・マガジンでは「マシン・ヘッド」が83位と低評価です。

「ディープ・パープル イン・ロック」

少し後にジェフ・ベックは「ギター殺人者の凱旋」でフュージョンの扉を開いて注目を浴びました。続いてヤン・ハマーと共演し、よりジャズに近づいたのが「ワイヤード」

「ワイヤード」ジェフ・ベック

ベックの「悲しみの恋人」で、初めて存在を知った超絶ギタリストがロイ・ブキャナン

「メシアが再び」ロイ・ブキャナン

フュージョン・ブームでジャズ畑の凄腕ギタリストが有名になりましたが、ラリー・カールトンと人気を二分したのがリー・リトナー、何故かギターマガジンではランク外。

キャプテンズ・ジャーニー」リー・リトナー

そういえば、ラリー・カールトンリー・リトナーに続くスタジオ・ミュージシャンだったスティーヴ・ルカサー・・・何故かTOTOもギター・マガジンではランク外。

TOTOデビュー 宇宙の騎士」TOTO

フュージョン・ブームに少し遅れて知ったのがパット・メセニー・・・バカテクだけでなく音楽性の素晴らしさも知りました。

アメリカン・ガレージ」パット・メセニー

忘れていけないのがボストン・・・皆あのサウンドに憧れ、ROCKMANが売れました。

「ドント・ルックバック 新惑星着陸」ボストン

いや~、懐かしい・・・今よりギター・ミュージックが熱かったような気がします。

当時は冷戦時代で、危機感が若者意識に影響があったのかも・・・といっても、やはり争いは起きて欲しくないですね。