昨日は、通勤途中に石川啄木終焉の地に行ってみた事を書きました。
ちなみに、晩年の9年間をここで過ごしたというので、石川啄木が亡くなった時も、ここに住んでいた事になります。
この扱いの違いは、やはり夏目漱石は文豪として有名だということなのでしょうか?それとも、文京区と新宿区の力の入れ方の違いなのでしょうか?
漱石山房も路地の途中にありますが・・・途中には案内板が立っているし、上述のように立派な施設があるので、迷う事はないと思います。
しかし・・・神楽坂からも早稲田からも10分以上歩かなければならないのが難点です。
そのため、早稲田から夏目坂を登って、生誕の地を訪れてから、漱石山房を訪れるというのが、スタンダードなルートとなっているようです。
事前に墓地の案内で場所を確認していたのですが・・・お墓のある場所と思われる舗装してある通路を通ったら、見つからず・・・通り過ぎてから引き返し・・・よく見たら、通路に背を向けてお墓が建っていました。