この近辺について調べていたら、石川啄木終焉の地も近くにある事が判明しました。
啄木が亡くなったのは26歳なので、年齢もそんなに変わらなかったようで・・・ひょっとしたら、二人は道ですれ違ったりしていたかもしれませんね。、
金栗四三のオリンピック出場は話題になったので、当然、啄木も知っていたでしょう。
そんな訳で、朝の通勤の途中で、ちょっと足を伸ばして石川啄木終焉の地を見に行ってきました。
実は、事前に大体の場所を確認していたのですが・・・路地の途中なので、ちょっと探してしまいました。
最終の地を示すプレートがマンションの壁に掲げてあり、一角には碑もありましたが・・・気を付けてないと、見落としてしまいそうな感じです。
現在は、高級住宅街となっていて、当時の面影はありませんが・・・かつては、上記のように東京高等師範学校や女子師範学校(現お茶の水女子大)も近くにあり、坂を下れば東京大学の小石川植物園があり・・・当時としては、なかなか文化的な場所だったので、啄木もこの地を選んだのかもしれませんね。
「石川啄木終焉の地」のプレート
「石川啄木終焉の地」の一角にある碑