ところで、このペナントを良く見たら「金栗足袋(ハリマヤ足袋)発祥の地」とも書かれていました。
金栗四三がストックホルム・オリンピックで走った時に、未舗装で土が露出していた日本の道路と違い、石畳の道路だったため、厚布で底を補強した足袋では役に立たなかったので、ゴム製の底を付けるようにしたそうです。
この金栗足袋は、わが国のマラソ・ランナーのほとんどが履くような大ヒットとなり、朝鮮出身の孫基禎がこの足袋を履いて、ベルリン・オリンピックで金メダルを獲得するまでになりました。
そして、ハリマヤ足袋店はハリマヤ運動用品となり、ハリマヤ・シューズも海外のスポーツ・シューズと対抗する国産メーカーにまで成長したのですが・・・バブルの崩壊で廃業してしまったそうです。
さて、このハリマヤ足袋店がどこにあったのか?と、調べたら・・・不忍通りと春日通りの交差点のすぐそば・・・この立地条件の良さから、足袋店としてもかなり繁盛していたみたいです。
ちなみに、黒坂辛作は、姫路から上京して足袋店を開いたから、ハリマヤ足袋という店名にしたそうですが・・・この場所を選んだというのは、先見の明があったように思います。