例によって、朝、通勤時は途中の駅で降りて歩いています。
もっとも、韋駄天の金栗四三なら、浅草まで簡単に走ってしまったのかもしれません。
この場所、不忍通りと春日通りの交差点に近いので、はたしてどちらの通りを走ったのか?なんて考えてしまいました。
不忍通りで、そのまま上野まで行ったのか?春日通りで本郷まで行ったのか?
地図をみると不忍通りの方が簡単ですが、春日通りの方が距離は短いみたいです。
そういえば、教育の森と春日通りを挟んで反対側には、お茶の水女子大があり、金栗四三が居た当時は前身の女子高等師範学校だったようで・・・その前の通りを走っていたら、かなり目だったと思うし、ましてやオリンピック代表だったら憧れの的だったりして・・・一体、どんな青春時代を送っていたのだろう?なんて思ってしまいました。