偉人は転居が多い?

今日は、お彼岸の中日なので、亡き父のお墓参りにいってきました。
昨日の天気予報では午前中は雨が降るという事で、今朝起きた時もパラパラと降っていたため、お墓参りは無理かと思ったのですが・・・そのうち雨が止んでしまったので、急遽行く事にしたのです。

いつもだとお彼岸の中日は混んでいるのに、同じように見合わせた人も多いようで、多磨霊園は人影がまばらでした。
結局、雨は大丈夫だったのですが・・・風が強くて、線香に火をつけるのにも苦労するほど・・・・早めに帰ってきました。
帰るころには晴れ間がでてきて・・・風が強かった事もあり、花粉でクシャミが出て困りました。

さて、昨日は、夏目漱石の終焉の地である漱石山房について書きました。
ひっそりとした石川啄木終焉の地と比べて、立派な施設もあり、さすが文豪という感じです。

そういえば、昔は持ち家より借家が一般的だったので、けっこう転居が多い偉人もいましたが・・・石川啄木夏目漱石も、あちらこちらで旧宅の表示を見かける事があります。

石川啄木といえば・・・以前、岩手の渋民村まで行った事があり、実家のお寺や教員をしていた小学校なんかを訪れた記憶があります。
あと、盛岡に行った時には、石川啄木新婚の家というのがあったし・・・函館にも旧宅がありました。
そういえば、旧宅ではありませんけど・・・観光で十和田湖に行った時、ホテルの敷地にも歌碑があって驚いた記憶があります。

一方、夏目漱石といえば、英国留学していたし、坊ちゃんでお馴染みの松山とか・・・以前、私の姉が住んでいた熊本にも旧宅がありました。
そういえば、根津神社の近くにある夏目漱石旧居跡(猫の家)は、森鴎外が13年前に同じ家に住んでいたそうです。

もっとも、石川啄木の場合、貧乏で仕事を求めてあちらこちらに転居していたのに・・・夏目漱石の場合、国費での留学とか・・・司馬遼太郎曰く「西洋文化を地方に広めるたという明治政府の国策」により・・・教師として、校長よりも高い給料で、あちこちの学校に赴任していたようで・・・全く事情が異なっていたみたいですね。

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夏目漱石旧居跡(猫の家)のプレート