なんでも四十七士のお墓がある
泉岳寺から分骨して、
新発田の長徳寺にお墓を建てるそうです。
堀部安兵衛は、19歳のとき
新発田から江戸に出てきて、一度も故郷に帰らなかったので、300年ぶりの帰郷になるそうです。
江戸に出て来た安兵衛は、剣術の道場に入り、すぐさま免許皆伝の腕前となったのですが・・・義理の叔父である菅野六郎左衛門の果し合いに助太刀して3人を倒し、一躍名を上げます。
これが、
高田馬場の決闘として評判になり、これに惚れ込んだ
赤穂藩の家臣である堀部金丸のたっての要望により婿養子となります。
しかし、
江戸城松の廊下での刃傷沙汰により、浅野家が取り潰しとなったため、再び浪人となってしまい・・・吉良邸への討ち入りに参加することになります。
そして、仇討ちに対する幕府の沙汰により、34歳で
切腹し、
泉岳寺に葬られたのです。
ところで、通勤時に歩いているコースの一つに、早稲田の甘泉園があるのですが・・・先日、その横にある、
水稲荷神社の境内を通ったところ・・・
堀部安兵衛の碑がある事に気づきました。
名を上げた
高田馬場の決闘の碑のようですが・・・どうやら、ここが決闘のあった場所という訳ではなくて、昭和になってこの地に移設されたようです。
興味深く思っていたところ、今日の遺骨の里帰りのニュース・・・ちょっとした偶然ですね。