昔、日帰りスキーの帰り道に雪が積もった高速道路で、スピンした車が中央分離帯のガードレールに激突し弾き飛ばされ、私の車にぶつかってきたのです。
しかし、問題の容器は26年間も放置されていて、中身が何だったかも不明だったとか、開封の手順も明確でなかった等・・・そのズサンな管理方法に驚かされます。
放射性物質の扱いに対して慣れてしまった事により、注意力が無くなってしまったのではないか?と言われています。
たぶん、多くの人がニュースを見て連想したのは、昔、東海村JCOで発生した臨界事故ではないでしょうか?
あの時も、正規のマニュアルに従わず、バケツで溶液を混ぜる等、ズサンな扱いをしていた事が問題となりました。
そこへ、事故の一報が・・・とたんに打ち合わせどころではなくなってしまいました。
東海村方面の電車も止まってしまい・・・研究所の人達は帰れなくなってしまい・・・凄く心配して、家族に電話していたのが印象に残っています。