真田丸と真田太平記

NHKの大河ドラマ真田丸」が始まりました。
好調な朝の連続テレビ小説に対して、不振が続く大河ドラマの挽回のため、三谷幸喜監督を採用したそうです。

そして、ここのところ、あまり有名でない女性を主人公にした物が多かったので、有名な戦国武将を取り上げたとか・・・確かに、上田城の2度の徳川との戦いとか、大阪冬の陣・夏の陣とか見せ場は多いと思います。

今日視た感じでは、三谷監督らしい演出で、なかなか面白そうな感じです
もっとも、佐助とか登場するし、以前の「新選組」のように、史実に忠実でないなんていう批判がありそうな気もします。
個人的には、タイトルバックのCGが、実写っぽいくせに不自然なのが気になりました。

主役の真田信繁役の堺雅人と兄の真田信之役の大泉洋の芸達者コンビは良い感じです。
もっとも、大泉洋は三谷監督の「清須会議」の秀吉のように人を食った役のイメージが強いので、従来の真田信之のイメージとは少し違う気もします。
1985年に、NHKで放映した「真田太平記」で真田幸村を演じた草刈正雄が父親の真田昌幸をやるというのも、面白い配役に感じられました。

そういえば、1985年当時は、真田幸村というのが一般でしたが、幸村と言う名前は後世の軍記もの等でつけられたもので、現在は、信繁という本当の名前を使うようになっているそうです。

新たに判った事といえば、大河ドラマの前に放映された歴史秘話ヒストリアスペシャル「徹底解明!これが真田丸だ~地中に残された幻の城~」によれば、大阪冬の陣大阪城の出城として作られた真田丸も、従来考えられていたものとは大きく異なっていたそうです。

例えば、従来は大阪城の接する半円形の出城だという事になっていましたが、前後に堀を備え左右は崖の独立した四角形の出城だったとか・・・櫓の上から大型の射程距離の長い鉄砲(大狭間筒)を使ったので、徳川軍は塹壕を掘って戦ったとか・・・真田丸の前方は野原ではなく寺町だったとか・・・

こうなると、史実とされているものが変わってしまうので、史実に忠実でないなんて言ってられませんね。

ちなみに、町中の建物を利用した戦いというのは、父昌幸の上田城を連想します。

上田城と言えば、真田昌幸が2度も徳川軍を撃退したので、有名ですが・・・
これも先日NHKで放映された「タモリ×鶴瓶×堺雅人ブラタモリ×鶴瓶の家族に乾杯 真田丸スペシャル」を見ていたら、上田城関ケ原の合戦後に徳川家によって破壊され、現在の城は仙石氏によって作られたもので、ほとんど真田時代の物は残っていないそうです。

あと、真田が上田を拠点としたのは、僅か39年間だったというのも、初めて知りました。
調べてみたら、1583年に築城し、その2年後の1985年に徳川軍7,000人を撃退し・・・その後、1600年に関ケ原の合戦に向かう徳川軍3万8,000人の攻撃から城を守り抜きます。
しかし、関ケ原の合戦で東軍が勝ったので、真田昌幸・信繁親子は紀伊国九度山に流され、1601年に上田城は壊されてしまいます。
そして、徳川に味方した兄真田信之は、上田に城を再建せずに、1622年に松代に移封となったので・・・実質、真田の上田城が存在したのは、僅か18年間だったのですね。

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真田太平記」 1~6巻 池波正太郎著 新潮文庫

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真田太平記」 7~12巻 池波正太郎著 新潮文庫